氣づきで人は変われる


これまでの人生(半生)で
氣づいてきたことをまとめました。

いわばキラキラ星人のルーツです。

かなりの長文ですが、少しずつお読みいただければ幸いです。


なお、同名の「e-Book(電子ブック)」(2006年発行)と
ほとんど同じ内容ですが、
ここではホームページ用に改めて編集し直しています


Index
プロローグ

第1章 病気に感謝する意識の芽生え


 ■ 人の行動を変えるのは難しい
 ■ 「氣づき」が人の意識と行動を変える
 ■ 神様が選んでくれた!
 ■ 苦労していたのは両親だ!
 ■ 障害は個性なんだ!
 ■ 聴くことの大切さの意味


第2章 父のアルツハイマー病から学んだこと


 ■ はじまり
 ■ まるで別人
 ■ アルツハイマー病と判明
 ■ 極限状態での氣づき
 ■ 絶妙なタイミングで教育してくれている1
 ■ おかしいのはどちら?
 ■ 何と人間の愛は美しい!
 ■ 痴呆症の人への思いやり
 ■ 母が卵焼きを作った!
 ■ 友人の弟が「愛の力」で蘇った!
 ■ 罪悪感を抱かないでください
 ■ 病気は氣づきを促す特効薬!
 ■ この右足が私の命を支えてきた
 ■ カルマの意味


第3章 人生を変えた氣づきのパワー

 ■ ある日突然スポーツマンに変身
 ■ お金の価値について
 ■ まず自分が幸せを実感すること
 ■ 『みんなの幸せ』が先で『自分の幸せ』はその後?
 ■ 幸せを実感するとは?
 ■ 「自分から」の意味
 ■ 「みんな」って?
 ■ 苦しかったことがまったく思い出せない
 ■ 苦しいときは苦しいと言っても大丈夫
 ■ 私たちはすべての人から許されてきた
 ■ 助けられ、助け、そして助けられる


第4章 生きているということ

 ■ 息子に教えられた『今、ここに生きる』ということ
 ■ 『現実に生きている』ことの偉大さ
 ■ 酔っぱらいの老人が見せてくれた人間の本性


第5章 人間の生まれてきた目的と使命

 ■ 「無条件の愛」が心の扉を開く鍵 
 ■ 「無条件の愛」はどこにある
 ■ 幸せ、やすらぎ、そして愛
 ■ 人間の究極の目的
 ■ 人類総体としての使命とは?
 ■ 違うことが当たり前
 ■ 違うから面白い
 ■ なぜ違いを認識できるの?
 ■ 『自分』の使命について
 ■ 使命を思い出させるための挫折や病気
 ■ 病氣や痛みを他人が治しても良いのでしょうか?
 ■ 痛みの意味
 ■ 突然ですが、超能力者は存在するでしょうか?
 ■ 「治す」ことと「癒す」こと
 ■ 超能力者( 氣功師) の役割
 ■ 人類は、いま自分で自分を試している
 ■ 未来は変えられるか?


第6章 阪神・淡路大震災が教えてくれたこと

 ■ 大震災発生!
 ■ 身にしみた水の大切さ、ありがたさ


第7章 すべての意識はつながっている

 ■ ガイアシンフォニーのこと


エピローグ

 ■ 私にとっての精神世界
 ■ 氣づきの落とし穴
 ■ 新たな氣づき・・・・人生は氣づきの連続
 ■ さらなる氣づき


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プロローグ

 今年(2006年)の6月21日、満50歳を迎えました。この世に生を受けて半世紀が過ぎたことになります。長いのか、短いのか、どちらも入り混じった感覚です。

 これまで様々なことがありました。楽しいこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、腹立たしいこと、ほほえましいこと・・・・いろんな体験をさせていただいています。

 生きて(活きて) いたら、色々あるのが当たり前ですね。私は、これらの体験を善悪で捉えることはできません。すべてをひっくるめた「高次元の楽しさを味わっている」と言うのが、一番今の氣持ちにフィットするような氣がします。

 これまで、その時々の氣づきを公式ホームページやブログに書き綴って来ましたが、一度にまとめて世に問うことはしませんでした。
 
 しかし50歳を迎えた今、まだまだ未熟ではありますが、これまでの半生で氣づいたことを多くの人と分かち合いたいと思うようになりました。

 この特集は、月刊情報誌『水の如く』や「公式ホームページ」、そして楽天ブログなどに、過去十数年間に渡って書きためてきた散文を整理統合したものです。

 いわば人生の中間報告。とくに「氣づき」に焦点を当てて編集しています。

 かなり個人的な氣づきですが、よろしければ最後までお付き合いいただければ幸いです。

 そして、ひとつでもあなたの心に響き、お役に立てたとしたら望外の幸せです。

 ここに取り上げたのは、私の氣づきのほんの一部です。

 もしご興味をお持ちの場合は、公式ホームページや楽天ブログをご覧ください。

公式ホームページ( 一番役立つ環境サイト)

ブログ( 楽天日記・・・・いいこと探検家の人生冒険ポジティブ日記)

 さらに、拙著『あなたの成長が地球環境を変える! 』には、本書に出て来ることも含めて、たくさんの氣づきをご紹介しています。よろしければ読んでみてくださいね。


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第1章 病気に感謝する意識の芽生え

■ 人の行動を変えるのは難しい

 人の行動は簡単には変わらないようです。とくに他人の行動を変えるのは、ほとんど不可能といってもいいでしょう。人は他人から変えられることを好みませんし、自分から変わることもなかなかできないものです。

 人間は「頭では分かっているけど、行動が伴わなくてね」とか「それは理想論であって、現実的ではないよ」など、できない理由を考え出す天才なのかもしれません。

 一方、世の中の成功者(成功とは何かについて考える必要がありますが・・・・)といわれる人は、できない理由を考える前に行動を開始します。つまり「
千のできない理由より、ひとつの行動」という意識を常に心に抱いている人たちなのです。


 という話を聞いても、「とはいっても、そう簡単にできるものじゃない」と相変わらず前進を拒む人がいます。「これも個性さ」「後で後悔するのは彼(彼女) 自身だからほっとけ、ほっとけ」と放任するのもひとつの選択でしょう。

 しかし、企業にしてもボランティアグループにしても、組織が成長するには一人ひとりが前向きに行動することが不可欠です。しかも世の中の変化に対応して、意識や行動を常に変えていく必要があります。

 またある時は、意識や行動を変えることで世の中の変化を促すことが求められる場合もあるでしょう。たとえば、地球環境問題についても、たいていの人は「物質的欲望中心のライフスタイルを改めなければならない」とか「自分のできることから始めることが大切だ」ということくらい知っています。

 でも「頭では分かってるけど、なかなか行動に結びつかなくて」とか「誰でも本音と建て前があるからね」と今までの行動を変えようとはしません。どうも人間は、知識として知っていても、それだけでは行動を変えられない動物のようです。


■ 「氣づき」が人の意識と行動を変える

 では、人の行動はどうすれば変わるのでしょうか。

 私は、「氣づきによって意識が変わり、意識が変わると行動が変わる」と考えています。

 一部のオカルト的な「気づきのセミナー」の影響からか、「氣づき」という言葉を聞いて何かうさん臭いと感じられている方も多いようです。

 しかし「氣づき」はごく一般的な言葉で、「あっそうか、なるほど!」「あっ、ひらめいた!」「・・・・(感激して言葉にならない)」のように、心の底から沸き上がる感動です。言葉では表せない、しかしすべてが分かった(少々傲慢ですが)という体験です。

 私は、経営コンサルタントとして、またボランティアとして、数多くのセミナーや講演を通して意識や行動の変革を働きかけていますが、知識や情報をお伝えするだけではほとんど効果がないことを実感しています。

 参加された方々が、
ハッと息を飲んだり、時には涙をこぼされたりして、氣づきのレベルに達したとき、初めて変化のための第一歩が踏み出されることを体験してきました。


 ここでは、いかにも抽象的な「氣づき」という概念を具体的に考え、意識や行動が変わっていくプロセスを皆さんと体験してみたいと思います。

 ただし、これからお話しすることはあくまでも私自身の「氣づき」であり、皆さんに考えを押しつけるつもりは毛頭ありません。
同じ体験をしたとしても人の数だけ「氣づき」は存在するのですからね。


■ 神様が選んでくれた!

 まず最初に個人的な話をさせてください。

 私は、1歳半のときに小児マヒ(ポリオ) にかかりました。今でも後遺症のため右足の太さは左足の3分の1もなく、右足だけでは到底立つこともできません。

 しかし、右足を補うように、左足は恐ろしく強靭です。また上半身も強くなり、50歳になった今でも握力は70s以上あります。ちなみに学生の時は最高92s ありました。

 このように
人間には弱いところを補う潜在力が備わっているようです。

 しかし、不自由な右足にばかり目がいっている間は、正常な左足や両腕さえも、その力が活かされることはありませんでした。

 私の場合は、小学校5年生の時までは右足に目が集中していたようです。道ですれ違う子どもたちから、「ちんば」とか「あのお兄ちゃん、変な歩き方をしてる」とか「近づいたらうつるぞ」言われて悔しい思いをしたり、友達と比べて走るのが遅いことを理由に「なんでボクだけ足が悪いの」と思ったこともありました。


 あるとき、「神様がボクなら我慢できると思ったのかも知れない」という考えが、ふと浮かんできました。そして
「世の中に優しい人を増やすために、君のような体の不自由な人が必要なんだよ。でも、誰でもいいというわけじゃないんだ。不自由な体でも明るく生きる(活きる)人を探していたんだよ」という声が聞こえたような氣がしました。

 「ああ、神様が選んでくれたんだ!」。この氣づきの瞬間に、私は”第一の脱皮”をしたと思います。

 突然、人や自然にやさしくできるようになったことを憶えています。


■ 苦労していたのは両親だ!

 ”第二の脱皮”は15歳の頃です。

 当時、周囲の大人から「足が悪くて、苦労してるでしょう」といわれても、私にとっては物心ついたときから足が悪いのが普通で、どんな状態が苦労なのか理解できませんでした。それで「別に苦労しているとは思わないよ」と応えていました。

 しかしある日突然、重大なことに氣づきました。「そうだ、
本当に悔しくて苦労をしているのは、自分ではなく両親なんだ。しかも当の両親は、苦労を苦労と思っていない」ということです。後で聞いた話では、両親は真剣に「あるとんでもないこと」を考えたこともあるそうです。

 生まれたとき元気だった赤ちゃんが、消化不良中毒症(生まれてすぐ発病し、死にかけていたそうです)、そして小児マヒと変わり果てていく姿を見て、どんな心境であったかを想像すると、両親にとってとてつもない試練であったことが推測できます。

 よく「親孝行したいときには親はなし」といわれますが、「両親が生きている間に親孝行したい」という両親への感謝の気持ちが芽生えたことが嬉しくてたまりませんでした。

 といいながらも、いまだに親不孝を続けていますが・・・・。


■ 障害は個性なんだ!

 ”第三の脱皮”は高校生の時にやってきました。

 当時は、「右足が悪いから、あれができない、これができない」とできない理由ばかり考えていました。

 ある日、「なぜ、不自由なのは右足なのか」という疑問が生じました。「なぜ、左足でもなく、右手でも、左手でもなく、目でもなく、耳でもなく・・・・あっ、そうか! ! ! ! 」。

 このとき全身に電流が走りました。「そうだ、左足があるじゃないか。右足にしても、動かないけど体を支えることができる。それに両腕も目もあるぞ。素晴らしいことに頭が残っている(思考力が残っている)。なんだ、
できることの方が多いじゃないか!」。


 ここまで書いて、交通事故の後遺症で、首から下がまったく動かない車椅子女優の萩生田千津子(はぎうだちづこ)さんの言葉を思い出しました。

 「
使命とは、与えられた命を精一杯使いきること」。

 いま彼女は、残された素晴らしい口(くち)を使った「ひとり芝居」で、全国各地に感動を巻き起こしておられます。


 ところで、この世に障害者は存在するのでしょうか。


 障害とは単に相対的に何かが弱いということにすぎません。障害という言葉は、人と人との比較の世界にしか存在しません。

 もし人間が鳥の世界に入ったとき、飛べないという理由で障害者と呼ばれるでしょうか。

 障害とは個性そのものです。たとえ植物人間のような人であったとしても、周囲の人に愛と感謝の大切さを氣づかせくれる素晴らしい師なのです。

 障害を欠点ではなく、「
何かに氣づくために天が与えてくれた恵み(試練)」と受けとめた瞬間、その人が輝き出すのではないでしょうか。


 障害は個性なんて、きれいごと。そういう声もあります。確かにきれいごとかもしれません。でも、きれいごとを言って感情を抑圧してしまい、苦しむ人がいる一方で、きれいごとを言うことで魂を磨こうとする人も存在する(いわゆる逆境指数の高い人) のも事実なのです。

 
きれいごとは文字道り「綺麗なこと」。奇麗なことを軽んじる風潮の方がおかしいと思いませんか?

 私はきれいごとを言い続けるつもりです。


■ 聴くことの大切さの意味

 さて、”第四の脱皮”についてお話しさせてください。

 社会人になった頃、私は、ある意味で自分の右足が不自由なことを” 武器”と考えてきたのではないかということに氣づいて愕然としたのです。

 つまり「病気になった者しか病人の氣持ちが分からない」とか「自分は身体障害者の氣持ちが痛いほど分かる。なぜなら自分も障害者だから」ということを本氣で考えていたのです。

 何と自分勝手で傲慢な考えなのでしょう。本当に自分自身、恥ずかしく思います。


 今の私はこう言えます。

 「あの人が障害者だからといって、私はあの人の氣持ちは分からない。
なぜなら病気は同じでも、あの人はあの人であり、私ではないからです。境遇も環境も違うのに、あの人と私が同じはずがありません。みんな個性を持つかけがえのない存在なのです」と(潜在意識レベルでは同じなのですが、これについては第3章以下で触れます)。

 分からないからこそ、人の話をよく聴き、全人格を受容することが大切なのですね。

 口がひとつで耳が二つ、「話す2 倍聴こう!(今でも私の大きな課題です)」。

 この意味が初めて体感できたような氣がしました。


 これらの脱皮は、「小児マヒ(正式には: ポリオ・・・・急性灰白髄炎)」という病気になったお陰で授かった「氣づき」によってもたらされたものだと思います。

 
私は「氣づき」によって病気に感謝する意識が芽生え、行動が変わってきたようです。



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第2章 父のアルツハイマー病から学んだこと

 前章では、小児マヒという病気によって私自身が大きな氣づきを体験して、人間として脱皮していったプロセスを述べました。

 この章では、実父の患ったアルツハイマーという病気によって、愛の素晴らしさに氣づかせてもらったお話しをさせていただきます。

 個人的な話題で恐縮ですが、この得がたい体験を皆さんと分かち合ってみたいと思います。何らかのご参考になれば幸いです。


■ はじまり

 平成6年7月5日の午後11時55分。食事をしながらの仕事の打ち合わせで、かなり遅い帰宅でした。ホッとしたのも束の間、妙な胸騒ぎを感じ、思わず実家に電話を入れると、いつもとは違う憔悴しきった母の声が聞こえてきました。

「こんなに遅くまでどこに行ってたの。さっきから何回も電話してるのに・・・・。お父さんが大変。とにかく今すぐ来て! 」。

 幸い実家とは4キロしか離れていませんので、タクシーを飛ばして駆けつけました。

 その時、父は寝床に横たわっており、虫の息でした。「うそっ! 、おとといまであんなに元気だったのに・・・・」。

 2日前実家に帰ったときの元氣な姿がまぶたに浮かびました。「このまま死んでしまうのだろうか」と涙が出てきました。また「親孝行したいときには親は無し」という言葉を独り言で呟いていることに氣づき愕然としました。


 しばらくの間、「でもこれが現実だ、受け入れなければ・・・・・・」という意識と「いや、これは夢だ」という別の意識とが交錯していました。


 しかし、次第に現実の認識が勝ち、「死なせてたまるか」という氣持ちが膨れ上がってきました。

 次の瞬間、一心に祈っている自分を発見しました。

 誰に祈っている?

 今思えば、それは宇宙にだったと思います。

 私は特定の宗教を持っていませんが、無神論者、無宗教というわけではないと感じていました。このとき「私は無宗教ではなく。非宗教なんだ。だから宗教心があるんだ」とはっきり理解できました。

 
宇宙はすべての周りに、そしてすべての中にある。すべてが宇宙そのもの。

 このことを今、頭でなく魂で実感しています。


 話を元に戻しましょう。

 とにかく一心不乱に祈りました。

 ときには浮気をしてイエス様、マリア様、お釈迦様、そして当時話題を集めていたサイババにも祈りましたが、一貫して「イエス様、サイババ様・・・・あなた方も宇宙そのものでしょう。ということは今ここにおられるわけですね。だったら同じ宇宙そのものである父をお救いください」というような、今思うと訳の分からない自分勝手なお祈りをしていました。

 お祈りを続けているとき、ふと次のような考えが浮かびました。「もし父がこの世界に必要ならば助かるだろう。必要でなければこのまま逝ってしまうだろう」。

 しかしこの考えはすぐに訂正しました。

 「
助かるということは父はまだこの世に必要だということ。死ぬということはあちらの世界で必要ということなんだ。あるいは次の生の準備かも知れない」と。

 この瞬間にものすごく氣が楽になり、いつの間にか寝てしまいました。



 朝起きてみると、父はまだ眠っていましたが容態は持ち直し、乱れてはいるものの力強い呼吸が戻ってきました。
「良かった。ありがとうございます」。宇宙にそして神に心から感謝しました。


■ まるで別人

 翌朝、父の目が開きました。しかし何かが違います。「おはよう」と声をかけました。

 「・・・・・・」。反応がありません。

 鋭い目で辺りを見回します。今まで見たこともない、恐ろしい目でした。

 そうです。目が違うのです。恐ろしく鋭いのですが焦点は定まりません。まるで何かが乗り移ったような・・・・本当にそんな感じなのです。

 突然、機敏に立ち上がり、恐ろしい形相で私に向かってきました。父は当時67歳でしたがまるで20代のような機敏さです。その時はただただ、うろたえるだけでした。


 その後も、「泥棒や昔の仲間が来ている」「小さな子どもが部屋中を走り回って騒いでいる」、などの幻覚や幻聴が頻繁に現れました。

 また「早く行かなければ」とか「お世話になりました。さようなら」などと言ってどこかに帰ろうとするのです。おそらく昔住んでいた家に帰ろうとしていたのでしょう。


■ アルツハイマー病と判明

 あまりに異常なので県立病院で診察していただいたところ「アルツハイマー病」と診断されました。

 脳血栓による痴呆症と違って、一生治らないといわれている老人性痴呆症です。

 レントゲンの結果を見ると、脳が萎縮し、記憶を司る部分の細胞が破壊されているのがはっきり分かりました。「この病気はこれ以上良くなることはありません。これから家族も大変でしょうが、頑張ってください」という担当医の言葉がずしりと胸に響きました。

 その後の2週間は、壮絶といっていいほどの闘いでした。幻覚や幻聴はますますエスカレートするばかり。外に出ようとして暴れる父と、その父を力尽くで無理矢理引き戻す私との取っ組み合いはすさまじいものでした。ちょっとで
も隙を見せると一目散に玄関に向かって突進するので寝ることもできません。

 私と母の1週間の睡眠時間はトータルでも5時間ほどだったでしょう。その影響で、自転車に乗りながら眠ってしまって工事現場に突っ込んだり、階段から転げ落ちたりと、体中アザだらけになってしまいました。


■ 極限状態での氣づき

 連日の看病と父との取っ組み合いに疲れ果てて、家族の心労が限界に来ていました。いつも頭の中は「このまま私たち家族はどうなってしまうのだろう」という悲壮感と絶望感とでいっぱいでした。

 いつ終わるとも知れない「自分の中の悪魔と天使との闘い」が続いていました。

 その日も、いつものように暴れる父を力ずくで押さえつけていました。

 何気なく父の目を見たその時です。「あっ! ! ! ! 」。

 突然、真っ白な光に包まれたような感覚がやってきました。その瞬間、「そうか、分かったぞ!」と叫んでいました。

 そして体全体から感動が沸き上がってきたのです。

 目の前に、もがいている父がいるにもかかわらず、嬉しくて嬉しくてたまらないのです。

 誰かが見ていたら、(看病に疲れて) きっと私の氣が変になったと思ったに違いありません。


 この体験は、言葉に出すと色あせてしまいそうなほどの素晴らしいものでした。一瞬の間に、次のようなたくさんの氣づきを得ることができたのです。

 
「父親が暴れているんじゃなくて、家族の不安・心配・恐怖が父を通して鏡のように返ってきている」、「たとえ幻覚・幻聴であったとしても、父にとっては紛れもない真実の体験なのだ」、「暴れる父を薬で押さえ込むのは、ベッドに縛り付けるのと同じだ(一度薬を飲ませましたが、真っ黒な便が出たのですぐに止めていました)」、「アルツハイマーは治らないんじゃなくて治していないんだ」、「家族の愛こそがアルツハイマーを治せる」等々。

 この氣づきを母に伝えたところ、涙を流して喜んでくれました。

 この時を境に、家族の父に対する態度が一変し、愛に満ちたものになりました。笑顔の家庭が戻ってきました。

 父が「誰々がそこに座っている」と言ったとき、以前は「そんな人なんていないよ。どうしたん? 」と返事をしていたのを「あっ本当だ。ボクも挨拶しよう」とか「へえ、ボクには見えないけど、もっと頑張って見えるようになりたいな。今どんな服を着ている?」というように変えました。

 また「さっき椅子に座っていた何々君はどこに行った?」という問いに、以前は「そんな人なんて始めからいないよ」と応えていたのを「ああ、何々さんはさっき帰ったよ。急用で挨拶もしないで帰ってゴメンと言ってたよ」というように変えたのです。

 さらに私が帰宅するときは、玄関の前で深呼吸をしたり楽しいことをイメージして、心からハッピーになって初めてドアを開けて、「ただいま〜 」と元氣に声をかけました。

 面白いことに、私が心からハッピーでなければ父は機嫌が悪いのです。顔だけニコニコしていてもダメなのです。
潜在意識で生きている父には私の心は筒抜けです。父は、痴呆状態の中でも私を教育してくれていたのですね。

 このことに氣づいた後は、「こんな機会を与えてくれて本当にありがとう」と想うだけで、ハッピーな氣持ちが一瞬にして沸き上がってくるようになりました。

 元氣で明るい「ただいま〜」を心がけ始めて3日目に父はニコリと微笑みを返してきました。

 そして1週間目に「お帰り」という返事が返ってきました。

 3か月たった頃には新聞を読めるほどになり、家族のことも孫のことも思い出したようです。


 3年後には、徐々に症状が進行し、会話によるコミュニケーションはほとんど成立しなくなりましたが、イライラしているときに心から愛情を持って接するとすぐに落ち着いてくれるのです。

 平成15年11月25日に他界するまで、仕事がない限り、毎晩8時過ぎに実家まで父のおむつを取り替えに行っていましたが、実際はとてつもなく大変でした。

 とは言うものの、当時の氣づき(初心) を持ち続けることができたことに幸せを感じます。


■ 絶妙なタイミングで教育してくれている

 父がアルツハイマー病になって4年ほどたったとき、幻覚はたまにあったものの、暴れることは少なくなっていました。しかし、たまに精神的に不安定になり、荒れることがありました。

 その時は確かに大変なのですが、愛と感謝の気持ちを抱いて接すると、比較的短期間でいつもの柔和な表情に戻ります。


 ある時ふと、「私が講演などで不在の時は、父は絶対に荒れることはない」ということに氣づきました。必ず、講演に影響のない日に荒れる(荒れてくれる) のです。


 どうしてだろうと考えて見ると、「そうだ、
仕事や楽しみにかまけて『両親への愛情』を忘れていることを叱ってくれているのだ」ということに氣づいたのです。

 「おい、愛を忘れるなよ」と。そして「母さんや家族への愛も忘れるなよ」。

 このタイミングは絶妙というしかありません。


■ おかしいのはどちら?

 よく考えてみると、精神的に不安になるのは父だけではありません。私なんかは毎日のようにイライラしています。ただ、氣持ちをコントロールする方法を知っているので、ごく短時間でイライラから抜け出すことができるだけです。
 父の方がよっぽど精神的に安定していました。

 このように「父が病気」という先入観を持っていると、ちょっとしたことで「あれ、病気が悪化したのかな」と判断しかねません。


 次のようなことがありました。

 父が心を閉ざしたり、反抗的になっているようなので、「どうしたんだろう。ちょっと様子がおかしいな」と思っていました。

 ところが、実は「父に原因がある」のではなく、精神的に不安定でイライラしている「私に原因があった」のです。
私のイライラを父が感じとり、その氣持ちを私に返していたのです。

 また、意味不明に聞こえる話であっても、冷静に考えてみると、ものすごい氣づきのメッセージであることがよくあります。
父の潜在意識から発している警告が、抽象的なイメージでそのまま出てきているので、意味不明に思えるだけなのです。

 精神的な病を持つ人に先入観を持って接する(レッテルを貼る)と大きな誤解を生み、自らの成長と氣づきのチャンスを失ってしまいます。
他人にレッテルを貼ると、その人だけでなく自分も身動きできなくなることを痛感させられました。

 またまた父に叱ってもらったような氣がします。


■ 何と人間の愛は美しい!

 こうして、父はいつも愛の大切さについて教えてくれました。

 以前の私は、「愛」という言葉を連発するのは何か軽薄のように感じていましたが、父の病気をきっかけに、喜んで使えるようになってきました。


 ある日のこと、私が父の背中をさすっていたとき突然、
「何と人間の愛は美しい!」「何と人間の愛は美しい!」「何と人間の愛は美しい!」と父が3回も優しい声でつぶやいたのです。

 まるで神様か天使の声のようでした。

 私は、この時、「人間の本質は愛である」と確信しました。

 そして素晴らしいことに、父の介護を通じて周囲に愛の輪が広がっていきました。近所の人たち、市場の店員の方々が、父に接するうちに、心からやさしくなっていく様子がハッキリと分かりました。

 父にはまだこんな役割が残っていたのですね。


■ 痴呆症の人への思いやり

 「痴呆老人にならないために、今のうちから趣味を持とう」

 「頭を使わないと、ぼけるぞ」

 「多くの仲間を持つことが痴呆にならない秘訣だ」

 このような話が、書籍やテレビ、巷の会話で飛び交っています。

 私は、これらの話を聴いて悲しみで胸が張り裂けそうになります。

 こんな話を聴いた当のお年寄りはどう思うでしょうか。

 「痴呆だから理解できない?」。

 とんでもありません。潜在意識ではすべて分かっているのです。

 「君たちは、私が理解できないとでも思っているのかな。そんな聞きかじりの知識だけで私を見ないで欲しい。どうして、私が痴呆老人になるような生活を送っていたと決めつけるのだ。私は趣味もたくさん持っていたし、毎日毎日、頭を目いっぱい使っておった。そして何よりも、素晴らしい友人に囲まれていたのだよ」。

 このような「反論を言葉を使って表現できない人」に対して、先の言葉は著しく思いやりに欠けていると言わざるを得ません。

 確かに、確率的にはそのような原因が多いのかも知れません。しかし、
たとえ99%の確率であったとしても、目の前にいる人がそうであるとは限らないのです。

 この他にも「遺伝だった」「ある種の化学物質に冒された」「まだ解明されていない未知の原因だった」などいくらでも理由が考えられます。

 そして「痴呆になることそのものが、本人にも周囲に対しても必要不可欠だった」ということもあり得るのです(少なくとも私の父の場合は間違いなくこの理由です)。

 ただこれは私の直観ですが、特にアルツハイマーになる人は「さびしさ」を感じている人が多いように思います。家族から見放されている「さびしさ」も確かに感じることがあります。

 しかしそれ以上に、その人たちの目を見ていると「会社や世の中に認められない寂しさ」が伝わってくることがよくあるのは、私の思い過ごしでしょうか。

 私たちは、お年寄りの言葉にならない想いを感じ取れる「思いやりの心」を持ちたいものです。


■ 母が卵焼きを作った!

 3年前(平成15年)の11月25日、父が他界し、9年に及ぶ寝たきり状態に終止符を打ちました。

 他界する5年前からは、まったくの植物状態。その間、母は介護に命を捧げていました。毎日一度だけ、私もおしめの交換を手伝いに実家に通っていましたが、後はほとんど母が付きっきりで介護していました。

 さすがに最後の2年ほどは、心温まる福祉施設からの援助をいただきましたが、母の大活躍ぶりはそれはそれは見事なものでした。


 そんな母が、父が他界した直後から、思い「うつ」に罹ったのです。介護という大役が突然なくなり、心の支えが無くなってしまったのでしょう。

 何もする氣が無い。自分を責める。笑顔が消える。生きる価値を見いだせない。やせ細ってくる。最悪のことをほのめかす。

 正直、とてつもなく苦しい1 年でした。

 しかし、苦しいから悪いという感覚は全くありませんでした。

 人が聞くと「強がり」とか「抑圧」というかも知れませんが、心の中ではむしろワクワクしていたのです。

 
この状況を通過したとき、爽やかな開放感に包まれることを心から信じていたからだと思います。


 その母が、発病後8ヶ月くらい経ったある日、卵焼きを自分で作ったのです。

 しかも、自分自身のために。平凡なことのようですが、これは「とんでもなく画期的」なことです。「ゼロから1は、1から1億までよりも無限に遠い」のですからね。

 その日、母は再生への第1歩を踏み出しました。

 「もう、大丈夫だ!」。そう確信しました。

 症状だけ見ると「かなり悪い」のですが、私にとっては徒歩からジェット機に乗り換えたみたいな氣持ちでした。絶望が希望に転じ、実現への確信へと進化したのです。


 母は今ではすっかり元氣になり、孫たちと遊んでいます。しかも、自分自身を「うつ」に導いた「几帳面すぎる性格」「強烈な自己犠牲傾向」「心配過多」なども、ほとんど姿を消しました。当の母も「うつのお陰だね」と冗談を言うくらいの変身ぶりです。

 では、どうしてうつが完治したのでしょうか?

 申し訳ありません。ここで書くわけにはいきません。あまりに危険すぎるからです。同じ病名がついていたとしても、すべての原因、そして治療法は異なります。私がとった方法を別の人に施した場合、とんでもない逆効果になるこ
ともありえます。


 私の場合は、医者にも行かず、薬も一切使っていませんので、ある意味危険な試みです。

 もちろんカウンセリング的な方法は取ったものの、結果的に「魂と魂とのぶつかり合いによって境界が粉砕し、融合した」ということが言えると思います(余計に分かりにくい表現ですね)。

 一言でいえば「壮絶」です。

 今となっては私にとって、「
何ごとも命がけ(本氣)で取り組めば必ず何とかなる」ことを実感した出来事でした。


■ 友人の弟が「愛の力」で蘇った!

 私の話ばかりしてきましたので、ここで友人の家族で起こった感動的な出来事をお話ししましょう。


 A 君の弟( B 君) が大学生のとき、重度の今でいう統合失調症にかかりました。症状は極めて深刻で、大暴れしたり、とんでもない幻覚に家族は深刻に悩みました。「このままでは家族は滅茶苦茶になる」と覚悟したそうです。

 そしてとうとう一家心中の道を選び、まさに実行しようとしたその時、一番下の妹がB 君に抱きつき「お兄ちゃん! 私それでもお兄ちゃんのことが大好き!!」と大声で叫び、ワンワン泣いたのです。

 何と素晴らしいことでしょう。このことをきっかけにB 君は夢から覚めたように回復に向かい、今では、多くの人に慕われているお医者さんになっているということです。


■ 罪悪感を抱かないでください

 ここで、皆さんにお願いしたいことがあります。

 私はこれまで、愛の大切さと、その愛によってアルツハイマーという不治の病も克服できる、ということをお話ししてきました。

 ただし、
ここでいう克服とは完全治癒のことではなく、「病気をそのまま、さらには感謝して受け入れられるようになる」という意味です。

 しかし、今現在、痴呆のお年寄りを抱えて悩んでいる人にとって、今までの話は残酷に感じられたかもしれません。


 というのは、「私の父がこんな状態(暴れたり、イライラしている) になっているのは、私の愛が足らないから?」と罪悪感を抱かれたかも知れないからです。

 でも罪悪感は必要ありません。あなたは今までできることはすべてしてきたはずで、後悔する必要は何もありません。
.
 もし、私の話の中で「これは! 」と思うことがあれば、今から実行すればよいのです。また、あなたなりの氣づきによって、素晴らしいノウハウもたくさん身につけられていると思います。いつか多くの体験とノウハウを分かち合いましょう。


 また読者の皆さんの中には「両親を介護していたが、もう亡くなってこの世にはいない」というような方もたくさんおられると思います。

 「愛の大切さに今になって氣づいても、もう手遅れだ。もう母はいない・・・・・・ひょっとすると、愛が足らなかったから死んでしまったのかもしれない」。

 このように思われた方がおられたとすれば、心が痛みます。

 しかし、やはり、できることはすべてし尽くされたということは疑いのない事実です。そして、介護の過程で精一杯愛を注いでいたことを思い出してください。結果として、愛する人を亡くしてしまいましたが、「愛すること(愛さないこと)」と「亡くなること」との間には何の因果関係もありません。

 第一
「愛が足らなかったから・・・・」と思うこと自体、充分に愛していた証拠なのです。

 さあ、自信を持って介護の大先輩として、多くの人に貴重な体験とノウハウを分けて上げてくださいね。


■ 病気は氣づきを促す特効薬!

 これまで、私の小児マヒや父のアルツハイマー病を通して、氣づきや愛の素晴らしさについてお話ししてきました。

 ところで、自分の過去を振り返ってみると、どう考えても「
病気は氣づきを促す特効薬」としか言いようがありません。


 今まで私や父の病気について、いろんな人から「それはお祈りが足りないからです」とか「先祖の供養ができていないからです」とかいろいろな忠告を頂戴しました。すごいのになると「あなたの過去生で犯した罪のカルマを受けて
いる」とか、「大変な犯罪を犯した先祖がいて、その人が成仏できずに祟っている」など本当にありがたい? お言葉をいただきました。


 こんなとき私はその人たちに直接反論はしませんが、「それって、病気が悪いと思い込んでいませんか」と穏やかに話すようにしています。

 今までの体験をお話しして、病気が素晴らしい氣づきのチャンス(特効薬)であることを分かっていただけたらと思うからです。

 しかし、こういう人たちには、なかなか理解してもらえません(口では知っていると言いますが・・・・)。とはいえ、彼らには彼らなりの氣づきのチャンスが巡ってくるでしょうから、決して私の考えを押しつけないように自分自身を戒めています。


■ この右足が私の命を支えてきた

 少なくとも
私自身は小児マヒになって良かったと思っています。

 この右足のために、いろいろ氣づくことができました。

 もし神様が現れて、望みを叶えてあげようと言ってくれたとしても、右足を左足と同じくらい強くして欲しいとは絶対に思いません( 子どもの頃は思っていましたが)。この右足は50年も私と一緒にいてくれたのです。

 たとえ細くても、自由が利かなくても、私の命を支え続けてくれているのです。


 神様に頼らなくても、自分自身で何年も山にこもって「右足よ、太く、強くなれ!」とイメージし、念じ続ければ、間違いなくそうなるでしょう。

 しかし、私にはその意思はありません。

 最近、今の右足がこの状態にあるのは、ある意味では私自身が望んでいるのではないかと思うようになりました。

 人間の細胞は常に生死を繰り返しています。すべての細胞は7年でまったく新しいものに生まれ変わっているそうです。であるならば、どうして何十年も右足が同じ状態なのでしょうか。遺伝子が変質してしまっているようには思えません。

 私は、「私のイメージ(思い込み) がある『場』を形成し、右足を細く保ち続けているのではないか。だからイメージを変えれば、場も変わり、右足も太くなるはず」と考えています。

 もし、右足がイメージ通り太くなったとすると、今度は必ず、今の状態が懐かしくなるに違いありません。

 でも、今のこの状態には決して戻すことはできません。負け惜しみでも抑圧でもなく、私はこの右足が愛しいのです。
この右足を含めた私自身が、また同様に、すべての存在が「かけがえのない命そのもの」なのです。


 また、自分自身の中に自分でも思い通りにならないものがあるということは、他人を思い通りに動かそうとする気持ちにブレーキがかかります。

 私たちは、ともすれば
思い通りに動かない他人に対して「怒り」がこみ上げてくることがよくあります。しかし、私は思い通りに動かせない右足が常に傍らにいてくれることで、怒りに対する免疫ができているようなものなのです。


■ カルマの意味

 ありがたいことに、カルマだとか先祖の祟りなどと忠告してくれる人がいたからこそ氣づいたことが山ほどあります。

 
過去生のカルマにおびえている人は、少なくとも「今の自分が好きでない」、また「今の自分が幸せとは思っていない」ようです。「どうしてこんなにハッピーなんだろう。どうしてか過去生を調べてもらおう! 」という人に、あまりお目にかかったことがありません。

 
心で求めることが与えられるというのは、私にとっての「真実」です。

 と言うことは「様々な過去生の中から、今の心の状態に応じた過去生が浮かび上がる(検索される)」はずです。
不幸な原因を求めたら、不幸な(原因をつくった) 過去生が現れてくるのは当たり前のような氣がします。

 私は、私自身や父の病気を通じて「今の自分が大好きで、今の自分は大変幸せだ」と実感しています。

 
もしカルマというものが本当にあるのならば、私は自分が犯した過去生の罪に感謝したい氣持ちです。

 それは、過去生で罪を犯したからこそ、今の幸せがあると考えられるからです。

 ひょっとすると
カルマとは、誰か(神様) に与えられたのではなく、自分が自分自身に与えた課題かもしれません。

 福島大学の飯田史彦氏の「生きがいの創造」(PHP 研究所) という本があります。この本では、生まれ変わりや過去生について客観的なデータをもとに分かりやすくまとめられています。

 先に、「私の病気は神様が選んでくれた」と氣づいたとお話ししましたが、今では、「前世の生き方を反省し、自分でこの病気を選んだ」と思っています。

 もっとも、前世があればの話ですが・・・・。

 また先祖の意味を考えるきっかけにもなりました。1世代が30年とすると千年で33世代になります。自分の両親がいて、その両親がいて、そのまた両親がいて・・・・つまり千年前には、先祖が2の3 3乗=86億人もいるのです。

 32世代前は43億人、その次は21億5千万人と考えると、千年間に限っただけでも、何百億人もの「ご先祖様」がおられることになります。

 これだけいれば、犯罪者がひとりもいないと考える方が不自然です。

 そして、そもそも犯罪者という表現が適切でないことにも氣づきます。「ひとりの人間を殺せば犯罪者だが、1万人を殺せば英雄」という言葉に代表されるように、犯罪者の定義は時代や政治的背景によって変わるものなのです。

 それよりもっと重要なことは、「
何百億人もの先祖のうち、誰ひとり欠けても今の私は存在しない」ということではないでしょうか。

 たとえ何万人を葬った殺人犯であったとしても、その人がいなければ、この姿の私は決して生まれることがなかったのです。

 この事実に氣づいたとき、すべての「ご先祖様」に感謝できるようになりました。



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第3章 人生を変えた氣づきのパワー

 これまで、私の個人的体験を中心に、「氣づき」によってどのように行動が変わるかについてお話ししました。これらの体験以外でも、行動や考え方が変わった出来事がたくさんあります。

 ここではその中から、いくつかの体験と氣づきのパワーについてお話しすることにしましょう。私の体験談から、人間の無限の可能性を感じ取っていただければ幸いです。


■ ある日突然スポーツマンに変身

 以前お話ししましたように、私は1歳半の時に小児マヒ(ポリオ) という病気にかかりました。両親や近所の人たちの献身的なリハビリ看護のおかげで、4歳になってようやくびっこを引きながらも歩いたり、少しくらいは走れるようになりました。

 しかし、スポーツなどは満足に出来ない状況でした。そのため、小学校に入っても「スポーツなんてできるわけがない」と思いこみ、友人が野球やドッジボールをしているのをいつも座って見ているだけでした。

 小学校2 年生の時、たまたま人数のバランスが悪く、ドッジボールをする羽目になりました。スポーツなんてできないと思いこんでいましたので、とにかくボールを当てられないように逃げ回っていました。

 ところが、逃げそびれたとき、私を目がけてボールを投げる相手の姿が目に入りました。 「あっ、もうだめだ」、と思った次の瞬間、両腕と腕の間にボールがすっぽりと収まり、見事にキャッチしていたのです。

 その時です。全身にエネルギーが充電され、自分自身が光の固まりになったような感激が走ったのです。「やったー」。その時の感覚は今でも鮮明に覚えています。

 その日以来、私はスポーツマンに大変身しました。ドッジボールは朝一番に学校に行って場所取りから参加する。野球のチームを作ってピッチャー(一応エース)を務める。鉄棒では、逆上がりや蹴上がりなどお茶の子さいさい。卓球部に入り大会に出る。100メートル泳げる。その他たくさんのスポーツができるようになりました。

 面白いことに、歩いている時には「何で足が悪いのかな」と思っても、スポーツをしている時はそのようなことは一切感じませんでした。

 そのきっかけは、たった一度ドッジボールを受け止めただけ。「
人間は一瞬に変われる」ことを実感する出来事となりました。


■ お金の価値について

 「今どき100円なんて何の役にも立たない」、「1億円の財産があれば寝て暮らせるのになあ」。私たちは、お金のありがたさを金額の面だけで判断することがよくあります。しかし、100円と1億円とでは本当に1億円の方が価値が高いのでしょうか。


 この意味に氣づくチャンスが十数年ほど前にありました。実は夢の中でのお話です。

 その日は、朝から灼熱の太陽が照りつける真夏日でした。私はひとりで砂漠を歩いていました。果てることもなく続く砂漠の中で、汗だくになって前進を続けています。

 突然、激しいノドの乾きを感じました。そういえばここ数日、一滴の水も飲んではいません。水筒の水は飲んでしまいました。オアシスがないか必死に探しましたが、痕跡すらありません。このままでは日干しになって死んでしまうことは間違いありません。

 絶望に打ちひしがれていたその時、前方に清涼飲料水の自動販売機があることに氣づきました。「そんなばかな」とは思いましたが現実にそこに存在するし、電気も流れてちゃんと動いているようです。

 「天の恵み」とばかりに駆け寄り、財布の中から100円玉を取り出そうとしました。ところが、財布の中身は空っぽで10円玉すらありませんでした。

 思い直してリュックサックの中を見ると、何と1万円札がぎっしりと詰まっていたのです。おそらく1億円以上はあったでしょう。

 狂喜乱舞して1万円札を取り出し、自動販売機に入れようとしましたが、千円札までしか受け付けません。「こんなにお金があるのに・・・・なぜ・・・・」。途方に暮れてその場に座り込んでしまいました。


 その時、みすぼらしい身なりの老人が通りかかり、ぜいぜいと喘いでいる私に声をかけてきました。

 「ああ、100円玉ならワシのを使ったらいい。ただし、お前が持っている1億円と交換じゃ。こんな時は100円玉の方が価値があるからのう。だが、
どちらも『いのち』の価値に比べりゃ、タダみたいなもんじゃ」。


■ まず自分が幸せを実感すること

 私はいま最高に幸せです。最愛のパートナー、子宝、友人にも恵まれ、心からの至福を味わっています。これまでにもお話ししましたように、いろいろな出来事がありました(いまもあります) が、それらがすべて現在の幸せに結び
ついていることを実感しています。

 物質的な「もし・・・・ならば・・・・できるのに」という願望を私は持っていないといったら嘘になります。しかし、現在の幸せに比べたら取るに足らないように感じています。

 というのは、「もし・・ならば・・できるのに」というのは、幸せというものが未来やどこか遠いところに存在すると錯覚し、その幸せを探し求めるあまり「今を生きていない」と思えるからです。

 私は「
幸せは求めるものではなく、感じるもの」「幸せは探すものではなく、今ここにあることに氣づくもの」と思っています。

 私たちは、幸せという心の中の大海原を航海している旅人です。小舟だからといって遊覧船をうらやみ、遊覧船だからといって、豪華客船を望んでいます。

 私たちが、
「もっともっと」という欲望があろうとなかろうと、幸せという心の中の大海原は相変わらず「今ここ」に存在しているのです。「板子1枚下は地獄」ではなく「板子1枚下は幸せ」であることに氣づいたとき、私はさわやかな開放感に包まれました。


 ところで、現実にはアフリカや東南アジアの貧困地帯で毎日何万人もの餓死者が出たり、世界中のあちらこちらで戦争による多くの犠牲者が生まれています。

 こういうとき、「こんなに多くの幸せとは思えない人たちがいるのに、自分が本当に幸せと言えるのか」と自問してきました。

 現時点での結論としては、「まず自分が幸せであることを実感すること」、そして「自分が幸せのまっただ中にいることに感動する心を大切にしたい」ということです。

 幸せの輪が、連鎖反応のように地球全体に広がればいいなと思います。「
幸せはまず自分から」ですね。


■ 『みんなの幸せ』が先で『自分の幸せ』はその後?

 以前、ブログ(楽天日記)で「まず自分が幸せであることを実感すること」と書いたところ、複数の方から「それは違うんじゃないですか? 」という「お叱り(たぶん叱咤激励)」をいただきました。

 異口同音に、「『みんなの幸せ』が先で『自分の幸せ』はその後」と仰るのです。拙著『あなたの成長が地球環境を変える!』の中でも同様のことを書いていますが、ここでも同様のご指摘をいくつかいただいています。

 私としては、「ブログや本を読んでいただいてありがたいなあ」と感謝する一方で、「一つひとつの言葉に反応されていて、全体像が伝わっていないようだな」「真意を誤解されているな」と残念にも思います。

 しかし、思いが正確に伝わらないのは「私の筆力の不十分さ」にあります。まだまだ発展途上だなあ、と反省しています。


 このテーマはすごく大切なことですので、たくさんの人に考えていただきたいとも思います。そういう訳で、この場をお借りして「私の真意」を書いてみたいと思います。しばらく「真意」という名を借りた「言い訳」にお付き合いくださいね。


■ 幸せを実感するとは?

 
私は「幸せになる」ではなく「幸せを実感する」と書いています。

 ここで「幸せを実感する」とは、誰が見ても幸せなルンルン状態ではなく、
どんな状況下にあっても、「こんな体験ができて幸せだなあ」と感じることを意味しています。

 
たとえ苦況に喘いでいても、極貧であっても、病弱であっても、「朝、目が開くことの幸せ」「息をしていることに氣づく幸せ」「困難を乗り越えるプロセスを楽しむ幸せ」「家族や仲間がいる幸せ」を感じることです。

 そういう意味で、「世の中の苦しんでいる人たちに幸せを感じてもらえるような活動をさせていただく幸せ」もあっていいと思っています。

 次のことを考えてみてください。

 アフリカや南アジアで飢餓に苦しんでいる人たちや、フィリピンのスモーキーマウンテンに暮らしている子どもたち。確かに不幸な状況です。

 しかし、もし彼らが目を輝かせて「それでも私たちは幸せを実感してるんです」と微笑んだらどうでしょうか?

 「いや、そんなことはない。あなたたちは不幸なんだ」と説得したところで、正義感の押し売りになるだけでしょう。


 一方、宝飾・飽食の世界に生きている日本人の中には「それでも、私は不幸なんです」と落ち込んでいる人が多数います。

 「いや、そんなことはない。あなたたちは幸せなんだ」と慰めてみても「でも、しかし」という返事が返ってくるだけでしょう。

 もちろん「幸せそのもの」の実現は、とても大切なことです。ただ同時に、「幸せを実感する人が一人でも多くなるような活動」も必要だと思っています。

 どちらが重要かではなく、「どちらも」重要なんだと思います。


■ 「自分から」の意味

 さて、ここに「自分」と「みんな」がいたとします。先のご指摘を繰り返すと、「『みんなの幸せ』が先で『自分の幸せ』はその後」と言うことでしたね。


 誤解を避けるために「自分」を「Aさん」と置き換えます。

 まず「Aさん」から「みんな」を見た場合を考えると、「みんなが幸せであれば、Aさんも幸せ」、「みんなが不幸であれば、Aさんも不幸」と言うことになります。これは、すんなり理解できますね。


 では、「みんな」から「Aさん」を見た場合はどうでしょうか?

 「みんな」の中に不幸な人がいた場合、「みんなが幸せでないので、Aさんも幸せでない」。ここまでは前例と一緒です。

 しかし、
「みんな」の立場から見ると、「Aさんという不幸な人がいるので、みんなも不幸」ということになります。これでは、永遠に「不幸のループ」から抜け出すことはできません。

 誰かが抜け出す必要があります。

 当然、「まずは自分から」でしょうが、そのためのプロセスを考える必要があります。

 自分がまず「不幸のループ」から抜け出す。

  ↓

 そのためには、「みんなが幸せを実感する社会をつくるお手伝いができて幸せ」と実感する。

  ↓

 幸せが実感でき、笑顔になる。

  ↓

 「幸せ感と、笑顔」が目の前にいる人に伝わる。

  ↓

 その人と接した人の「幸せ感と笑顔」が次の人に伝わる。

  ↓

 ネズミ算式に「幸せ感と、笑顔」が地球上に広がっていく。

  ↓

 環境問題などのあらゆる社会問題がなくなる。

 ↓

 地球が「みんなが幸せを実感する」最高の星になる。


 とんでもない理想論のように感じるかも知れませんが、資源量・廃棄場所・環境容量(自浄能力)という制約の中で、経済成長が永遠に続くという発想の方が理想論、いや妄想なのではないでしょうか。


 ちなみに、1人から始まって2人→4人→8人・・・・とネズミ算式に増えていくとすると、最初の1人を含めて「たった」34回目に地球の総人口(65億人)を超えてしまいます。

 これが「自分から」と書いた理由です。


■ 「みんな」って?

 ここまで長々とお付き合いいただいた方には誠に申し訳ないのですが、この章でこれまで書いたことなど、実は「どうでもいい」のです。すみません。

 
どうして前述の屁理屈めいた話になるかというと、「自分」と「みんな」を分けてしまっているからです。

 「自分とみんなは一体」。「自分はみんなであり、みんなは自分である」。

 つまり、どちらが先かなんて問う意味がないのです。
「自分の幸せ、『同時に(即)』みんなの幸せ」「みんなの幸せ、『同時に(即)』私の幸せ」というわけです。

 「自分とみんなは分離した別の存在」と信じている場合は、「『みんなの幸せ』が先で『自分の幸せ』はその後」と言おうが、「『自分の幸せ』が先で『みんなの幸せ』はその後」と言おうが、「不幸のループ」から抜け出せないでしょう。

 一方、「自分とみんなは一体」と信じている人の場合は、そもそも「どちらが優先順位が高い」とか「後か先か」という発想は出てこないのではないでしょうか。


 それから話のついでですが、「幸せと不幸」って対立するものでしょうか?


 これも分けて考えるのではなく、私個人としては「
不幸は幸せの一部」だと思っています。

 だから、「幸せでなければ不幸」という二者択一でなく、「不幸を感じることはあるけど、それも認めた上で全体としては幸せ」というのが私の実感です。


 ここで「その不幸を感じることってなんだろう? 」と内観してみると、
地球環境問題の悪化や飢餓などで苦しむ人や、イジメとか孤独感にさいなまれている人が「自分の中」に存在することを発見するのです。

 それで私は、「今生きている、数々の困難を体験できる、みんなとつながっている、という幸せを実感しながら、自分の中に存在している幸せを実感できない人たちを少しでも減らしていきたい」と思っています。


 そして、このようなプロセスを丸ごと体験することこそ、この世に生まれてきた「最高の幸せ」ではないかと思うのです。


■ 苦しかったことがまったく思い出せない・・・・抑圧からの解放

 ある講演会に参加したときのことです。講師の方が、「あなたの人生の中で、楽しかったことと、苦しかったことを思い出してください」と質問されました。

 私は早速言われた通り、思い出そうとしました。

 まずは楽しい思い出。これは出てくる出てくる。数え切れないほどたくさんの楽しかったイメージが湧いてきました。

 さて、苦しかったこと。

 ところが、まったく思い出せません。

 私の病気のこと、受験のこと、父のアルツハイマーのこと・・・・、恐らくその渦中にあるときは苦しかったはずなのですが、まったく何事もなかったかのようにイメージできないのです。

 その時は、「本当にボクはプラス思考なんだな。いやなことはすぐに忘れてしまうから」という考えに、すんなりと納得していました。


 ところがある時、自分自身では覚えていないのですが、ポリオにかかったときルンバールという注射を脊髄に200本も打たれていたという話を母から聞きました。

 ルンバールは太い針を脊髄に突き刺し、脊髄液を入れ替えるというもので、大人でも激痛のため悲鳴を上げるそうです。それを連日しかも200本も打ち続けるというのは、まだ1〜2 歳の私にとっては拷問そのものだったのです。

 幼稚園のころまでは、お医者さんと同じ白衣を着た人を見ると泣きわめいたそうです。床屋さんでは、わざわざ白衣を脱いでもらって髪を切ってもらったということです。

 しかし、小学校に上がる頃にはこの記憶も薄れていったようです。ただし、体は覚えていて、誰かが後ろにいるときは鳥肌が立ち、友人が親切に腰を揉もうものなら、恐怖のあまり飛び上がってしまうほどでした。

 面白いもので、母からルンバールの話を聞いたとき、「ああ、そういうことだったのか」と一瞬にして恐怖心が消えてしまったのです。


■ 苦しいときは苦しいと言っても大丈夫

 私が長い間、背中に恐怖心を抱えていたのは、1歳の時にルンバールという注射を背中に200本も打たれたことが原因だったのです。

 
表面的な記憶は消えていても、潜在意識でははっきりと覚えていたようです。これをトラウマと呼ぶのでしょう。


 精神的苦痛の原因の多くは幼児期体験にあるといわれています。内観や退行催眠によってその体験時点まで戻り、追体験し、すべての状況を認めることで劇的な「癒し」が訪れることはよくあることです。

 私自身の「背中恐怖」もその原因を知り、追体験し、「大人でも我慢できないのに、赤ちゃんなら泣いて当然だよ」とその状況を認めたとき、本当の意味でトラウマから解放されたと思います。

 「本当の意味で」と表現しましたが、これは「
苦しかったことがイメージできないのは、私がプラス思考だからではなくて、苦しみを認めず、あたかも苦しみがないかのように思い込もうとしていた」ことに氣づいたからです。いわゆる「抑圧」です。

 苦しみを「抑圧」すると表面的な記憶は消えますが、潜在意識にそれは居座り続けます。そのため長期に渡って精神に悪影響を与え、心の障害へと発展することになります。私の背中に対する恐怖も「抑圧」が原因であったように思います。

 また、過去に何度もあった「苦しい体験」をルンバールの時の苦しみと比較していたということにも氣づきました。

 恐らく自分の頭の中で「こんな体験なんか、ルンバールの時と比べたら何でもないよ。赤ちゃんの時に耐えられたのに今の自分に耐えられないはずはない。頑張れ、頑張れ」と自分自身を叱咤激励していたのでしょう。

 私はこの氣づきによって、
「苦しいときは苦しいと言っても大丈夫。泣きたいときには泣いたらいい」ということが「癒し」のポイントであることを知ったのです。

 私は今、「抑圧」からの開放感を味わっています。


■ 私たちはすべての人から許されてきた

 長い人生の中には、「絶対に許せない」と思う人と出会うことがあります。

 毎日の生活の中でも、他人はおろか自分にも腹を立てることがよくあります。

 実は、私はどちらかというと気が短い方でした。しかし、ふと次のようなことに氣づいたのです。

 私は今までの間に、イタズラもしたし、親に心配をかけたし、キャッチボールをしていて近所の窓ガラスを割ったし、言葉で人を傷つけたこともあるし、たぶん知らないうちに他人に迷惑をかけたこともあるだろう。もし、その人たちが私を許してくれていなかったとしたら、今頃私はどうなっていただろう。
そうだ! 今こうして私が生きているのは、すべての人から許されてきたからだ!

 宗教では、神様が許してくれるという表現がありますが、神様に限らず、私たちはすべての生きとし生けるものから許され、生かされているのではないでしょうか。

 その私たちが他人を許せないはずはありません。

 私はこの事実に氣づいて以来、すばやく怒りを静められるようになりました。


■ 助けられ、助け、そして助けられる

 私には、2人の子どもがいます。そして、前にお話ししましたように、アルツハイマーの父がいました。この3人のおかげで、人間の生涯というものについてのある大きな氣づきを得ることができました。

 それは、「
人間は、助けられ、助け、そして助けられる存在である」ということです。

 人間は、生まれたばかりの頃は自分だけではお乳も水も飲めず、ただひたすら助けを求めて泣くことしかできません。オギャーと生まれてしばらくは、親や親的役割を果たしてくれる人々からの助けがなければ絶対に生きていけないのです。

 一方、老齢になって体の自由が利かなくなってくると、自分の子どもや周囲の人たちからの様々な援助が必要になってきます。そして、寝たきりになってしまったときには、もはやひとりでは生き続けることはできません。人間は、人生の最後の時期には助けられて生かされるもののようです。

 ということは、
赤ちゃんと老人の間の時期は、「助ける(奉仕する) ためにある」のではないでしょうか。体が動く間は、助けられる時期のことに感謝して、周りの人に精一杯奉仕することが人間として生まれてきた意義のように思えてなりません。


 では、人生の途中で病気や事故で寝たきりになった場合は、どういう意味を持つのでしょうか?

 「本当は助ける時期なのに、助けられることになってしまって情けない。自分は生まれてから死ぬまで人に助けてもらうことしかないのか?」などと落ち込む人も多いようです。

 しかし、落ち込む必要はまったくないと断言できます。

 人は、助けると同時に助けられ、助けられると同時に助ける存在だからです。

 
赤ちゃんを助けることで、この上ない喜びを感じ、愛らしい笑顔に癒され、安らかな菩薩様のような寝顔に神を感じる。お年寄りや障害を持つ人たちに心からの奉仕をさせていただくとき、やさしさが育まれ、生きている、生かされ
ている、そして生きさせていただいている事実に感謝できる。


 私自身、悩みや心配事で二進も三進もいかなくなっているとき、赤ちゃんの「パパ! 」のひとことで救われたことが一度や二度ではありません。

 また、アルツハイマーの父を介護しているように見えて、実は大きな氣づきをたくさんいただいたことはすでに述べました。

 このように、「助けることは助けられること」。

 そして同時に、「助けられることは助けること」というのが私の実感です。


 
                            
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第4章 生きているということ

■ 息子に教えられた『今、ここに生きる』ということ

 赤ちゃんのことが出ましたので、息子( 当時1歳) から教えられたことをお話ししましょう。

 仕事が重なったため夜中の3時頃まで作業していたときのことです。

 次の朝6時に起きて講演先に出かけなければなりません。「このままでは徹夜になるかもしれない。今寝たとしても睡眠は2〜3時間しかとれない。講演に影響が出なければいいのにな」と心配になりました。

 氣を静めるために仕事場から離れて、リビングルームに行ったところ、寝そびれたのか息子がまだ起きていました。実は、息子も実家に出かけるために朝6時に起きることになっていたのです。あと3時間しかないのに無邪気に遊んでいましたが、心配している私の顔を見るなり、ニコッと笑って「パパ! 」と呼んだのです。

 そのとき、電撃が走ったように「これが、『今、ここに生きる』ということなのか」と氣づきました。

 息子は、「早く寝ないと朝が眠たいだろうな」とか「睡眠不足で次の日の遊びに差し支えるかもしれない」なんてことは、まったく氣にしていませんし、考えてもいません。その瞬間に集中し、楽しんでいるようです。

 彼の頭の中には「未来も過去も存在しない」のです。なぜならば、未来のことも過去のことも考えていないからです。


 このことが分かったとき、「講演に影響しなければいいのにな」という心配は、私の頭の中にしか存在しない幻想であることに氣づきました。
私がありもしない未来のことを勝手に考えて、頭の中にその考えを閉じこめていただけなのです。

 
過去のことを思い悩むのも、未来のことを心配するのも現実とは全然異なるもので、本人の頭の中にしか存在しない幻覚のようなものです。

 にも関わらず、その幻覚のために充実した『今、ここ』を味わえなくなっているとしたら何ともったいないことでしょう。

 私たちは、頭では『今、ここに生きる』ことの大切さを理解していますし、多くの書物でもその重要性が繰り返し説かれています。しかし、実践となると何と難しいことでしょう。

 こんなとき、公園や遊園地で健気に遊ぶ赤ちゃんや幼児に会いに行って、彼らの一挙手一投足を観察してみてください( あまり熱中しすぎると、お巡りさんから挙動不審者として職務質問されるかもしれませんが・・・・)。

 きっと「生きている(活きている)」ということ、「生かされている」ということ、そして「今、ここに生きる」ということを体全体で表現していることに驚かされ、勇気が湧いてくることでしょう。


■ 『現実に生きている』ことの偉大さ

 ある日、公園の公衆トイレで用を足していたときのことです。

 隣に、70歳前後のホームレス風のみすぼらしい身なりの老人がやってきました。そのとき「ああ、この人の人生はいったい何だったのだろうか」と一瞬哀れみの念を抱きました。

 しかし、突然(氣づきはいつも突然に現れますね) ある事実に氣づきました。

 それは、
たとえどのような身なりであったとしても、ホームレスであったとしても、失業者であったとしても、その老人が「この瞬間、現実に生きている」ということです。

 私は今50歳( 平成18年現在) ですが、あと20年も生きていられる保証は何もないのです。それでも、その老人は、過去にどんなことがあったとしても今こうして生きておられるのです。

 その厳然かつ偉大な事実を突きつけられたとき、私の中にその老人に対する哀れみの気持ちが消え、畏怖と尊敬の念が現れたのです。そのとき、老人がニッコリ微笑んだのは偶然なのでしょうか。


■ 酔っぱらいの老人が見せてくれた人間の本性

 この氣づきが、私の中で本物になったかどうかを試される機会がすぐにやってきました。


 ある日、私は自宅のある尼崎市に帰るために京都駅から電車に乗り込みましたが、混雑していてとても座れる状態ではありませんでした。ところが、ひとつだけ座席が空いていたのです。「どうして誰も座らないんだろう」と思いましたが、すぐに理由がわかりました。

 コンパートメント(ふたつずつ向かい合っている座席) で酔っぱらった老人が大きな声でわめき、近くの人に絡んでいたのです。そのために、老人の向かいの座席が空いていたようです。周りの人は関わりを避けようと、ほとんどがタヌキ寝入りを決め込んでいるようでした。

 このとき私はかなり疲れていましたので、どうしようかと迷いましたが思い切って老人の前に座りました。

 2〜3分間、私も目を瞑っていましたが、ふっと公園のトイレの老人のことを思い出し、目の前の老人が何となく愛おしくなってきたのです。

 思い切って、声をかけてみました。

 「こんにちは・・・・。たくさんお酒を飲まれたようですね」。

 初めのうちは、「何やねん。お前なんかに俺の気持ちはわからんやろ」とか「世の中のやつはみんなくだらん」などとわめいていました。

 それでも、ニコニコしながら聴いているうちに、人生のこと、仕事のこと、プロ野球のこと、そして自分の好きなラグビーのことなどを、堰を切ったように話し始めました。私も相づちを打ったり、質問したりして次第に会話が弾んできました。

 15分間くらいたった時、老人は帽子を深くかぶり直して突然黙り込んでしまいました。「あれっ、寝たのかな」と思って、顔をのぞき込むと、何とその老人が泣いていたのです。

 しばらくして、再び帽子を浅くかぶり直して、私にそして周りの人に「酔っぱらって、ごめんな」と何回も謝るのです。

 私は恐縮して、「私も酔っぱらってみんなに迷惑をかけたことが何回もあります。お互い様ですよ」と応えました。

 その頃には、隣の人も会話に加わり、「ボクなんか毎日酔ってみんなに迷惑をかけていますよ」と言っていました。


 やがて電車が新大阪駅に着き、80歳くらいの老夫婦が乗り込んでこられました。しかし満席で座ることができないようです。

 
そのとき「どうぞ、座ってください」と真っ先に席を立ったのは、その酔っぱらいの老人だったのです。

 その鮮やかさにつられて私も思わず立ち上がり、老夫婦のお二人とも座っていただくことができました。

 お婆さんの方が、「実は、腰が悪くて立っていられなかったのです。ありがとうございます」と何度も繰り返し、涙を流されていたことが忘れられません。


 
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第5章 人間の生まれてきた目的と使命

 前章で、赤ちゃん、ホームレスの老人、酔っぱらいの例をあげて、「生きているということ」に関する私の氣づきについてお話ししました。

 
たとえ、今どのような状況に置かれているにせよ、それを「何か意味あること」と捉えることで、新たな視点が生まれてくるように思います。

 酔っぱらいの老人も「迷惑な人」と排除せずに心を開いて接すると、素直で、やさしい「その人そのもの」が表面に浮かび上がってきました。
その素直さと優しさは、ずっと以前から、多分生まれたときから私たちの中に存在し続けているものではないでしょうか。

 しかし、何らかの理由で、「その人そのもの」が心の奥底に閉じ込められてしまったのかもしれません。

 そして「本当の自分でない自分」を演じることで、ぽかりとあいた心の表面の空き部屋(空虚さ) を埋めようと、もがいているのではないでしょうか。

 そう考えると、
酔っぱらってわめくのも、お金・地位・名誉などを求め続けるのも本質的には同じであることが分かります。どちらも満たされない空虚な心を癒そうとして、苦しみながら「本当の自分でない自分」を演じているのかもしれません。

 しかし、「本当の自分でない自分」を演じ続けている限り、永遠に心は癒されません。といっても、このことに氣づくのは容易なことではないようです。


■ 「無条件の愛」が心の扉を開く鍵

 では、本当の自分(その人そのもの) を取り戻すにはどうすればいいのでしょうか。

 経験の少ない私なりの考えで恐縮ですが、満たされない空虚な心(心の表面の空き部屋) に「愛」を注ぐことしかないように思います。

 この「愛」は、慈悲とも忠恕ともいわれるもので「無条件にすべてを受け入れる<愛>」です。「あなたが〜であったら愛してあげる」とか「私が〜であったら自分を愛するのに」ということではなく、「
あなたがあなたであるがゆえにあなたを愛する。なぜならば、あなたはあなたそのものだから」とか「私は私自身のことをすべて受け入れる」ということです。

 私たちは、この「無条件の愛」を求め続ける人生を送っているように思います。

 この意味で、酔っぱらってわめくのも、お金や地位を求めるのも、「無条件の愛を求める無意識の行為」といえるのではないでしょうか。

 おそらく、他人を激しく非難したり、攻撃する人ほど「無条件の愛」に飢えているのでしょう。

 
もし、他人から非難や攻撃を受けたとき、「その人は私の愛を求めている」というように「無条件の愛」で受け入れてあげてください。

 
また、他人や世の中に対して激しい怒りを感じたときは「いま私は、愛を求めているのかもしれない」と受け取り、自分自身に「無条件の愛」を注いであげてください。

 このとき、心の奥底の扉が開き、「本当の自分」が浮かび上がってくると思います。


■ 「無条件の愛」はどこにある

 さて「無条件の愛」は、いったいどこにあるのでしょうか。

 イエス・キリスト様やお釈迦様でないと体現できないのでしょうか。

 この意味で、宗教というものは、信心することで「無条件の愛」を実感できる素晴らしい存在だと思います。


 もう一度繰り返しますが、「無条件の愛」は、いったいどこにあるのでしょうか。

 私は宗教を勉強したことがあまりありませんので、宗教的とはどういうことかよく分かりません。でも、ひょっとしたらここまでお話ししてきたことが、宗教的な表現なのかもしれません。

 しかし、
宗教的であろうとなかろうと「無条件の愛」はどこにでも存在し、すべての中に生きているとしか表現のしようがありません。

 このことに氣づいたとき、少なくとも私は「心の奥底の扉を開く鍵」を手に入れたように感じました。


■ 幸せ、やすらぎ、そして愛

 実は私がこの鍵を手に入れたのは、ほんの10年ほど前(2010年からいうと15年ほど前)のことにすぎません。

 今まで、「幸せ」や「やすらぎ」、そして「愛」を求め、探す旅を続けてきましたが、ようやくその旅に終止符を打つときが来たのです。


 ある晩、この鍵を使って心の扉を開けてみたときのことです。

 私は夢の世界に漂っていました。ふと、周りを見ると一面に草原が広がり、たくさんの人々や動物たちが輪になっていました。

 やがて私がギターを弾き、全員が歌い始めました。

 すべては夢の中の出来事なのですが、あまりにも鮮やかでまるで現実そのものでした。目が覚めた後も、感激が続いており、みんなで一緒に3番まで歌ったことを覚えていました。

 その歌詞には、私がこれまで氣づいてきたことが含まれていただけでなく、このとき初めて氣づいた(ように感じた)こともいくつかありました。

 そこで、忘れないうちにとすぐに書き留めようとしましたが、メロディは覚えていたものの、出だしの歌詞しか思い出せなかったのです。

 ところが数日後、再び同じ夢を見ました。

 「やった! 」とばかり飛び起きて、今度はすべて記録することができたのです。

 同じ夢を何回も見るなんて何か意味があるかも知れないと、ひとりでニヤニヤしていました。ここで歌うことができなくて残念ですが、それは次のような歌詞でした。


 
◆ 幸せ、やすらぎ、そして愛

   
ずっと・・・・

   幸せ求めて今日まで生きてきたから

   本当の幸せこの手でつかみたい

   幸せ探して今日まで生きてきたけど

   どこまで行っても見つからないだろう

   幸せは求めるものではなく、感じるものだから

   幸せは探すものではなくて、「今・ここ」にあるって氣づくもの


   やすらぎ求めて今日まで生きてきたから

   静かなところで一生暮らしたい

   やすらぎ探して今日まで生きてきたけど

   どこに行っても見つからないだろう

   やすらぎは求めるものではなく、感じるものだから

   やすらぎは探すものではなくて、「今・ここ」にあるって氣づくもの


   愛を求めて今日まで生きてきたから

   みんなの大きな愛を集めたい

   愛を探して今日まで生きてきたけど

   孤独の中から出られはしないだろう

   愛は求めるものではなく、与える( 今は「愛する」に変更) ものだから

   愛は探すものではなくて、すべての中に生きている



 このような歌詞が、まるで天からのメッセージのように夢に現れたことに驚きました。しかし、しばらくして私は「幸せ」や「やすらぎ」、そして
「愛」を求め、探す旅を続けていたのではなく、それらにいつも囲まれながら旅を続けていたことに氣づいたのです。


■ 人間の究極の目的

 私は、よく自分自身(ひょっとして宇宙に?)に質問します。これまでの体験について改めて尋ねたところ、次のような声が聞こえてきたような気がします。

 
「なぜ、こんなにたくさんの人間や生き物、無生物に溢れているのですか? 」

 
・・・・それはすべてを愛するためだよ。

 
「なぜ、こんなにたくさんの人が病気や不幸で苦しんでいるのですか? 」

 
・・・・それは感謝の気持ちを体験するためだよ。

 
「なぜ、こんなにたくさんの犯罪者や気にさわる人がいるのですか? 」

 ・
・・・それはすべてを許すためだよ。

 ・・・・愛し・感謝し・許すこと。これが人間が生まれてくる目的だよ。



 こうして私は、人間の生まれてきた目的は、「愛すること、感謝すること、許すこと」と確信するに至りました。

 もはや言うまでもないことかも知れませんが、愛・感謝・許しを向けられた第三者は「喜び」の感情に包まれることになります。

 しかし、私たちはこのことになかなか「氣づけない」ようにできているのかもしれません。ほとんどの場合、大病を患ったり、突然の事故に遭遇して生死の境をさまよったり、大変な苦労をしたりして初めて氣づくようです。

 しかし、本当に人生観を覆すような体験をしないと私たちは氣づくことができないのでしょうか。


 私は、ここに人間の究極の目的があるような気がしてなりません。

 つまり
人間は、「大病、事故、苦労という体験を経ずして、自分の生まれてきた目的が『愛すること、感謝すること、許すこと』であるということに氣づく」ためにこの世に生まれてきたのではないでしょうか。

 そしてこのことに氣づいたときの感動を『よろこび』というのでしょう。

 なお、ここでいう『よろこび』には、喜び、慶び、悦び、歓びのすべてを含んでいるとご理解ください。

 ここで言う「愛する」とは、求めるとか与えるという「方向性のある愛」ではなく、すべての周りに、そしてすべての中に在る「普遍の愛」のことを言います。

 私にとっての究極の愛とは、「ただ愛すること」です。

 自分の代わりに、大病を体験し、大事故に遭い、大変な苦労をしてくれている人が周囲にたくさんおられます。

 
私たちは、その人たちの生きざまを拝見することで、彼らの大いなる氣づきを共有することができるはずです。

 また、
自分の氣づきを実践や活動によって、周囲と分かち合うこともできるはずです。

 すべての生きとし生けるものは、すべて潜在意識レベルでつながっています。

 つまり「
自分の氣づきも他人の氣づきも潜在意識レベルではまったく同じ」といえるのです。


■ 人類総体としての使命とは?

 このようなことを考えていたとき、人類総体としての使命が脳裡に浮かび上がってきました。

 それは、「
一人ひとりがそれぞれの( 違う) 使命を果たすプロセスを通して、それぞれの( 違う) 体験を潜在意識レベルで共有・融合し、一体となること。そしてそれを顕在化し、現実社会で実践すること」というものです。

 この人類総体としての使命を遂行し続けることが「進化」と呼ばれるものの正体ではないでしょうか。


 私たちは、「違う」ということをたとえば、血液型、性格、成績、年齢などのように分類する(分ける) ために利用することが多いように思います。

 ここから比較・競争が生まれ、やがて区別から差別へと人類総体としての使命とはおよそ逆方向に向かっていくように思います。

 その結果、環境破壊、戦争、いじめ、犯罪、人種差別、精神障害、老人や障害者問題など多くの社会問題が派生してきているのではないでしょうか。

 これからは「違う」ことの重要性と素晴らしさを多くの人が認識する必要があると思います。


 そこで、もう少し「違う」ということについて考えてみたいと思います。


 ■ 違うことが当たり前

 この宇宙には無数の星があり、おそらくそれぞれの星には無数の生命( 有機物) や無機物が存在することでしょう。

 この地球上にも数千万種の生物や数限りない無生物が溢れています。

 また同一種の中であったとしてもまったく同じものはひとつとして存在しません。

 その意味で、
この世の中は「違うもの」の集合体といえます。つまり「違うこと」が当たり前なのです。

 このことはもちろん「人間」にも当てはまります。

 姿形が一人ひとり違うことは当然ですし、育ってきた環境によって知識、経験、価値観が違うのも疑いようのない事実です。


 ところで、なぜこの世の中は「すべてが違う」世界なのでしょうか。

 その答えは、「もしすべてが同じだったらどうなるか」と考えると明らかです。

 自分以外がすべて「同じ」であれば、周りも全部自分ということです。こんな気持ちの悪いことはありませんね( しかし、これは後で明らかになりますが、案外真理の一部を表しているように思います)。

 つまり、自分が他の存在と「違う」ことで、自分が自分でいられるのではないでしょうか。

 また
自分が他人と「違う」ということは、自分に代わって他の人が違うことを体験してくれるということを意味します。

 ・・・・ここで本当は人以外も含めて「他」と表現したかったのですが、話がややこしくなりますので「人」に限定しました・・・・。

 つまり自分と他人が違うのは、「個々の体験を分かち合い、また集めることによって、より多くの体験を人間の智慧として蓄積できるから」ということではないでしょうか。


 ユングによると、人間には個人的な無意識層のさらに深いところに人類共通の「普遍的無意識( 集合無意識) 層」が存在するということです。

 そして密教の教えや最近のトランスパーソナル心理学などの説によると、普遍的無意識層はすべてを包含する「宇宙意識」とつながっているといわれています。

 つまり
本来「すべてがつながっている」のですから、言葉やボディランゲージを使わなくても普遍的無意識層を通じて智慧の蓄積ができているはずです。

 すべての人の体験は自分の体験でもある訳です。「
違えば違うほど面白い」「違う人がたくさん集まるほど智慧が出る」のです。


■ 違うから面白い

 この社会は様々な人の集合体です。

 私の経験の範囲内ですが、どちらかといえば「違うからけしからん」と考える人の方が「違うから面白い」と考える人よりも多いようです。

 この人たちは、どうも違いを「許せない」ようです。

 一方、「違うから面白い」と考える人もそれほど多くではありませんが、確実に存在しています。

 この人たちは、あらゆることから学ぼうという氣持ちを持っています。彼らは、年長者が若年者よりもすべての面で優れているとは考えません。

 むしろ「若い人といえども自分と違う体験をしているし、幼稚園児であってもある分野では自分よりもよく知っている。心を開けば動物や草木からも学べる。自分以外はみんな先生だからね」と実に謙虚です。


 過去はともかく、これからは「違うから面白い」と考える人を増やすことが必要だと思います。「人類の使命を果たすため」などと大層なことではなく、
違いを面白がる人が増えると世の中が楽しくなりますからね。


■ なぜ違いを認識できるの?

 ところで、なぜ私たちは『違い』を認識できるのでしょうか。

 それは、
違うこと以外は「すべてが同じ」だからではないでしょうか。

 人間は、「同じ部分よりも違った部分の方に意識が向きやすい」ということをゲシュタルト心理学でもいっています。

 私は、違うこと以外の「すべてが同じ部分」が普遍的無意識層であり、すべての生きとし生けるものがつながっている広大な領域ではないかと思います。

 また、人間に限定したとしても、脳や身体の構造はすべての人種に共通しています。肌の色などは無限の共通点の中のわずかな違いに過ぎません。
「すべてが同じ」と「すべてが違う」は矛盾するものではなく、二つで一つなのだと思います。

 このつながっている共通領域には氣にも留めずに、わずかに違った部分が、気になって気になってしょうがないというのが人間のサガかも知れません。

 ケンカしている人の話を聴くと、どちらも同じことを言っていると感じるときがよくあります。

 地球で起こる戦争にしても、第三者である宇宙人は「同じ考えにしか思えないけど、どうして争うの」と不思議な感覚を持つでしょう。

 
ケンカや戦争は「少しだけ違う」からこそ起こるように思います。


 私が環境問題で講演していて、反発される人が時々おられます。

 しかし、よく話し合ってみると、実はものすごく考え方が似ていて、ある箇所だけが違っていたという場合がほとんどなのです。

 二つの音叉があって周波数が同じであると共鳴し合いますが、少し違うとウーンウーンという「うなり」が発生します。この「うなり」が人間でいう「反発」なのではないでしょうか。

 そして周波数がまったく違えば、共鳴も「うなり」もしません。

 人間にとっても同様で、意見や価値観がまったく違えば、馬耳東風、馬の耳に念仏で反発のしようがないのです。


■ 『自分』の使命について

 人類総体としての使命について述べてきましたが、それが自分(個人) の使命とどのような関係があるのでしょうか。

 私は、「
自分の使命とは、愛、感謝、許しの大切さに氣づき、実践すること、そして人間総体としての使命を遂行するための重要な役割を持つ〈かけがえのない存在〉であると自覚すること」と思います。

 この〈かけがえのない存在〉であるということを象徴するのが、「自分」という言葉ではないでしょうか。

 よく「自分」とは「自然から分かれた存在」を意味するといわれていますが、断じて私たちは自然から分かれてはいませんし、分けられてもいません。「分かれた(分けられた)」と思う心から自然をコントロールしようという意識が現れてくるのです。


 
私は「自分」を「自然と分かち合う存在」と捉えています。ここでいう自然とは「自分を含むすべての存在」という意味です。

 つまり、
分かち合う存在だからこそ「違う」ことに価値があるのです。

 もし創造主がおられたなら、「あなたに与えた違い(個性) を活かして、すべてと分かち合いなさい。それがあなた(自分) の使命です」とおっしゃるでしょう。

 このことから、すべての人間が違うということは、すべての人に使命があると考えて差し支えないと思います。

 そして、その使命を遂行する手段として、様々な職業を通じて、また病気や障害を通して、人それぞれの人生体験を積み重ねていくのでしょう。

 ある説によると、人間は「次生の使命を決めて生まれてくるが、誕生時に記憶が消えてしまうため、自分の使命を忘れている」そうです。

 これは膨大な資料に基づいて客観的に導き出された結果であるということです。私はこれが真理かどうか分かりません(真理かどうかはどうでもいいことです)が、これまでの様々な体験から、「そういうことも有り得るだろうな」と思っています。


■ 使命を思い出させるための挫折や病気

 すべての人に使命があるからといって、みんながその使命に氣づくとは限りません。

 こんなとき、天、神、創造主、あるいは自分自身は、使命を思い出すための素晴らしい手段を用意してくれています。それが挫折や病氣やけがではないでしょうか。

 初めのうちは、小さな苦労や病氣で、「もうそろそろ氣づく時期だよ」と小声で教えてくれます。

 しかし、それで氣づかなければ、「いい加減にしろ! 」とばかり、塗炭の苦しみを伴う障害や、生死をさまようような大病・大けがで最後通牒を突きつけられるのではないでしょうか。

 これでも氣づかなければ、「もう一度はじめからやり直し」ということになるのかもしれません。

 だからといって、若くして亡くなった人がすべて「もう一度やり直し」を命じられた訳ではありません。
夭折することで周りの人々に何らかの「氣づき」を与えるのが、その人の使命だったかも知れないからです。念のため。


■ 病氣や痛みを他人が治しても良いのでしょうか?

 昔から、心の痛みや肉体の病氣や痛みを祈祷や手かざしなどで心霊的に治す人がたくさんおられます。「悩みが吹っ飛んだ」、「何十年も続いた腰の痛みが消えた」、「ガンが治った」などの実績を聞くと確かに素晴らしいことだと思います。

 しかし、病氣や痛みが、もし自分の使命に氣づくためのものであったとしたら、果たして第三者が介在することが良いのかどうか、疑問が残ります。「余計なお節介」だとすれば、癒した方も浮かばれません。

 私には、他人の病氣を癒すような超能力? などありませんので、誰かが病氣になったらお祈りするくらいしかありません。でもこれが「余計なお節介」だとしたら一体どうすればよいのでしょうか。

 私は、まんじりともしないで考えた結果、最近では次のようにお祈りすることにしています。

 「
この人が使命を思い出し、生まれてきた目的を果たす援助をしてあげてください」と。

 このようにお祈りすることで、病氣や痛みが癒されることがその人の使命に役立つのであれば、そのようになるでしょう。

 一方、このままの状況が続くことが生き方の間違いなどに氣づくことにつながるのであれば、病氣や痛み自体は当人にとって必要不可欠なものとなるでしょう。


■ 痛みの意味

 私はポリオの後遺症のために、膝から下には筋肉がなく、足首から先の神経が麻痺しています。だから、ほとんど痛みを感じません。ケガをしても痛くないのです。


 ところで、痛くないって良いことだと思いますか?

 昨年の夏、右足首を捻挫してしまいました。大きく腫れ上がり、靴が履けませんでした。骨にヒビが入っていたかも知れません。足首を捻ったはずなのに、足裏の土踏まずのところに血糊のような内出血!

 痛くないので、氣づいたのは1週間後でした。血糊が真っ黒に変色していました。

 痛くないので、つい無理をしてしまいます。そして、また腫れます。この繰り返しです。ようやく完治したのは、3ヶ月半後のことでした。

 お恥ずかしながら、これが初めてではありません。足の指の骨が折れたり外れているのに、氣づかずに無理をしてしまったことが数多くあります。


 さて、痛みって何でしょうか?

 痛みがなければ、人間は無理をしてしまい、後の人生を棒に振ってしまうかも知れません。
痛みは、「無理をする人に無理させないため」に存在しているように思います。

 いわば、「
痛みは無理をしすぎる人への警報装置」。

 痛みは必要だから存在する。

 そう実感しています。


 では、心の痛みは?

 同じことですね。痛みがなければ、やっぱり無理をしてしまいます。

 
心の痛みも、人間に備わった警報装置。


 では、いま心の痛みを感じているあなたへ。


 あなたの警報装置は見事に作動しています。

 正常に!

 もう無理をしなくてもいいですよ。

 その痛みを認めましょう。

 痛いって叫びましょう!

 大丈夫! 何とかなりますよ。



 以前、楽天日記にも「痛みは、無理をしすぎる人に無理をさせないための警報装置」と書いたことがあります。

 すると「ヒーリングをしてもらいに行くと、その時は痛みがなくなるのですが、すぐにぶり返してしまいます。これにも意味があるのでしょうか? 」というお問い合わせメールを何通かいただきました。


 私は「ズバリ言っても良いのかどうか? 」と躊躇しましたが、非難されることを覚悟の上で、この場をお借りして、少々耳が痛くなるかも知れない話をさせていただきます。

 もし、
肉体や心の痛みを除去するためにヒーリングを受けに行くのだとすると、(すべてとは言いませんが)残念ながら痛みは取れたとしても、じきにぶり返すと思います。

 なぜかというと、「
痛みをなくすことがヒーリングではなく、痛みそのものがヒーリング」だからです。

 激しい痛みを感じているとき、何かを考えることができるでしょうか?

 できるとしたら、それは我慢できない痛みではありませんね。


 ところで、不安や心配、悩み事はどうして起こるのでしょうか?

 頭の中で「そのことについて考える」からではないでしょうか。

 考えた結果、不快な感情を呼び起こすのですね。

 反対に言えば、「
そのことについて考えない限り、不安・心配・悩み事は生まれない」ということです。

 怒りもまさにそうですね。

 つまり「
激しい痛みを感じているときは、考えることができないので、不安・心配・悩み事・怒りから解放される」ということです。

 これが「痛みそのものがヒーリングである」という理由です。

 大リーグの選手は、デッドボールの恐怖から逃れるために、手首にゴム輪を増しておいて、思い出したとたんにパチンとはじくそうです。「痛い!」と感じた瞬間に、恐怖が消えるからです。


 ついでにひとつだけ付け加えましょう。

 先天性あるいは乳幼児の疾患でない限り、病気の原因は「生き方」や「考え方」にあると言われています。

 もし、そのことが原因で痛みを感じているのなら、
どんなに素晴らしいヒーリングを受けても、「生き方」「考え方」の変革がなければ効果は持続しないでしょう。

 
この場合の痛みは、「生き方や考え方を変革せよ」という警報ですので、それを感じなくさせることが良いのかどうか?

 皆さんも、ぜひとも考えてみてくださいね。

 くれぐれも、
痛みというヒーリングを「痛みを除去する(一時的にマヒさせる)」というヒーリングのようなもので妨げないようにしたいものですね。


◆ 念のために

 ここで書いているいるのは、自分の心がつくり出す内的な痛みであって、第三者によって与えられる直接の痛みのことではありません。


 私自身、ポリオの治療に「脊髄に針を刺して脊髄液を入れ替える」というルンバールを200回もしています。大人でも悲鳴をあけるという猛烈な痛みを1歳の赤ちゃんの時に200回も経験しているのです。

 しかし前述しましたように、私は覚えていませんでした。

 ところが、背中が覚えていて、長い間、背中恐怖症に苦しんできました。

 このような第三者から与えられる痛み(苦痛)は、ヒーリングとはほど遠いものでしょう。

 しかし、これとて「大人になってその原因が明らかになった瞬間に」ウソのように消えてしまいました。「な〜んだ、そうだったのか!」。これだけで、ホントに恐怖が消えたのです。

 これをトラウマの解消というのでしょうが、もし「いわゆるヒーリングによって第三者に癒されていたら、これほどの開放感に包まれたかどうか」は定かではありません。


 あくまでも私の場合ですが、第三者から与えられた痛みのお陰で、素晴らしい開放感を味わうことができ、しかも感謝の氣持ちすら湧いてきました。

 そのとき感じたのです。「確かに第三者からの痛みは相当激しいものだったけど、それ以上の愛をご縁のある方たち、そして森羅万象から戴いていた」ということを。


 この項の最後に、ヒーラーといわれる人の中には、生き方や考え方の間違いに自ら氣づかせて、自立と自律のためのガイド役を見事に果たされている方がいらっしゃることを申し添えておきたいと思います・・・・念のため。


■ 突然ですが、超能力者は存在するでしょうか?

 いわゆる氣功師や超能力者が「手かざし」などによって、病気や痛みを癒すという民間療法が昔からあります。

 非科学的という批判は多々ありますが、実際に効果を上げていることも多く、無視できるものではありません。

 お母さんが我が子の痛いところに手で触れて、「痛いの痛いの飛んでいけ! 」とおまじないを唱えれば本当に痛みが消えたり、治療のことを「手当て」といったりと、昔からごく普通の人にも人を癒す能力が備わっているように思います。

とは言っても当然個人差があり、ほとんどこの能力がない人から、極めて強力な能力を持つ人までが存在することでしょう。この後者のことを私たちは超能力者と呼んでいるのではないでしょうか。


■ 「治す」ことと「癒す」こと

 超能力者(氣功師) と称する人が、肩こりや腰痛を治すことはよくあることですが、たまにはガンなどの不治の病といわれる難病を治してしまうことがあります。

 本当に素晴らしいことだと思います。

 私は、普段は「治す」と「癒す」を一見無造作に使っていますが、この両者には根本的な違いがあると思います。

 まず
「治す」は病気や痛みの症状をなくすまたは緩和するということで、いわば対症療法的なものです。

 これに対して、
「癒す」というのは、単に病気や痛みを消し去るだけでなく「その病気や痛みそのものを受け入れ、根本的な原因をも除去する」ということだと思います。


■ 超能力者( 氣功師) の役割

 したがって、本来の完全治癒というのは、「癒す」ことでなければなりません。人は、根本的な原因に氣づいたとき、自己治癒作用によって自らを癒すことができます。


 この意味で
超能力者(氣功師) の役割は、患者が根本的な原因に氣づくのを助け、自己治癒作用を後押しすることにあると考えられます。

 多くの「根本原因」は、患者の生き方にあるといわれています。

 「生活が不規則で不摂生をしている」、「妬み・恨み・怒りという感情に支配されている」、「思い込みや囚われに陥りやすい思考パターンを繰り返している」など、「生き方」や「考え方」に問題があると、心が乱れて、その結果種々の症状となって肉体に現れるのです。

 単に「治す(対症療法)」だけで、反省せず「生き方」や「考え方」を変えなければ、しばらくすると必ずといっていいほど病気や症状が再発してきます。

 世の中には、「治す」ことだけで良しとする自称超能力者がとても多いように思います。

 
本物の超能力者とは、単に病気や痛みを治すだけでなく、「生き方の変革」や「思考パターンの柔軟化」を自覚させ、実践させる能力のある人と考えていいのではないでしょうか。


 ところで、聖書には「キリストは何万人もの病気を治した」という” 奇跡”の話が出てきます。しかし、本当に手がない人に手が生えてきたり、目の見えない人が見えるようになったりしたのでしょうか。

 もしもそうなら、確かに素晴らしいことです。

 しかし、せっかくの氣づきのチャンスを奪うことにならなければいいのですが・・・・。

 そうであれは、余計なお節介ですね。


 聖書をよく読んでみると、キリストは、病気を治したのではなく( その氣になれば本当に治せるだろうが)「その病気を丸のまま受け入れさせた」「病気である自分を愛せるようにした」ように思えます。

 つまり、「手のない人には、手のないことを受け入れることのできる感謝の氣持ちを与え、心の手を生じさせた。目の見えない人には、目の見えない自分を愛することができるように祝福を与え、心眼を開かせた」ということです。

 病気を治すこと自体は「奇跡」でも何でもありません。
その病気を受け止め、そして受け入れ、自分を愛し、そしてすべてを愛する氣持ちを生じさせることこそ、「奇跡」そのものではないでしょうか。


■ 人類は、いま自分で自分を試している

 人間一人ひとりに使命があるように、「地球人類総体としての使命」も存在するのではないか、ということはすでにお話ししました。

 そして、自分の使命を思い出すために、病気や挫折があるのではないか、とも述べました。


 では人類総体の使命を思い出させる手段は何でしょうか。

 福島大学の飯田史彦氏によると、「私たち一人ひとりは、人生の節目節目に自分を試す試験問題を用意していて、これをどう乗り切るかで後の人生が変わる」そうです。真理かどうかは別にして、私もそう思います。

 これを人類総体に置き換えると、「
私たち地球人は、時代の節目節目に人類を試す試験問題を用意していて、これをどう乗り切るかで後の地球の運命が決まる」となります。

 こう考えると「人類総体としての試験問題」は、たとえば地球環境の悪化、戦争、異常な犯罪の頻発、天変地異などであることは明らかです。

 このような事態に遭遇したとき、地球人類は「怒り」や「自暴自棄」ではなく、「奉仕の心」や「愛の触れ合い」の方向に私たちの意識を高めることができるでしょうか。

 この意味で
、いま私たち人類は、地球環境の悪化などという試験問題にどのように対処するかを、人類の総意として自ら試しているといえるのではないでしょうか。


■ 未来は変えられるか?

◆ 人間として生まれた予言者の役割

 前章で超能力者の話題になったついでといってはいささか不謹慎ですが、予言者についての私見をお話ししてみたいと思います。


 私は、多くの文献や個人的な体験から「未来に起こる出来事を(ある程度)正確に予言できるいわゆる『予言者』が確かに存在すると思います。

 しかし、たとえば大地震の発生や地球環境の破綻(人類の絶滅など) を当てたからといって素晴らしいとはとても思えないのです。

 ナマズやペットなども事前に暴れたり吠えたりしたことは阪神・淡路大震災の際にも聞かれました。

 つまり、地震発生を的中させるだけであれば、動植物と同じレベルなのです。

 といって、動植物が人間に比べて劣っていると言っているわけではありません。動植物には動植物に、また人間には人間に、それぞれ与えられた役割があるのではないかということなのです。


 予言者には、おそらく「現在の延長線上の未来」が見えるのでしょう。

 つまり、「人類全体のレベルがこのまま変わらなければどうなるか」という未来のビジョンが見えているわけです。


 あくまでも個人的見解なのですが、私は人間の予言者に与えられた役割は、「
生きとし生けるものに幸福を実感させる予言を成就させ、破壊につながる予言は外すこと」ではないかと思います。

 言い換えると、人間として生まれた予言者の役割は「
人間のレベルを向上させて、破滅的な未来を素晴らしい未来に創り替える手助けをすること。また、大災害が起こったときに、残された人々が怒り・嘆き・無力感ではなく、愛・許し・奉仕を選択する力を育てること」ではないでしょうか。

 つまり、前章で述べた「人類総体として自ら課した試験問題」をクリアするために派遣された家庭教師といえると思います。

 この役割を忘れて、未来を的中させて自慢するようでは、予言者としては賞賛されるにしても、当の本人は「我」を強くしてしまい、傲慢に陥る危険性があります。

 一方、悲劇的な未来を予言してそれが外れた予言者は、「嘘つき、妄想者、社会を混乱させたテロリスト」と非難を浴びることになります。

 このとき、本物の予言者であれば「世の中の皆さん、予言が外れてごめんなさい。私は、どんな中傷非難も充分反省して受け入れます」と謝罪しながらも、心の中で「やったぞ、人間のレベルを向上させることに少しでも貢献できて嬉しいな」と感謝することでしょう。


 もちろん私自身は予言者でも何でもありませんが、このままの状況が続くと地球が終末を迎えることは、科学的事実からでも十分に予測できます。

 そのため、私は「事実をお伝えし、何とか氣づきの輪を広げて人類総体としてのレベルを上げたい。そして素晴らしい地球を創りたい」と講演や執筆という手段で啓発活動を行っているつもりです。


 実は、私は次のような夢を持っています。

・・・・2020年に美しい地球が蘇り、「予測が外れたじゃないか、どう責任を取るんだ」と非難され、世間に謝罪している私がいます。そして、心の中でこうつぶやくのです。「本当に良かった! ! 」と・・・・。

 たとえ「偽善」に思われてもいいんです。まさに「偽善」なのですからね。

 
偽善とは、「人が為す善」のことです。

 偽善と言われて、躊躇する必要はありません。堂々と、善を為しましょう。偽善と非難するだけで何もしないよりも、はるかに素晴らしいことだと思うからです。

 ただし、押しつけになったり、独善になったり、度を超してしまうと「偽りの善」となってしまいます。

 ほどほどを忘れないようにしたいですね。



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第6章 阪神・淡路大震災が教えてくれたこと

 前章で、私の様々な体験から「愛し・感謝し・許すこと」が人間の生まれてくる目的らしいということをお話ししました。

 このことを否が応でも認めざるを得ない試練が平成7年に発生しました。

 あの「阪神・淡路大震災」です。

 あれからすでに2年半(これは平成9年に書いた文章です)が経過しましたが、改めて驚き、恐怖、絶望の体験から私たちが学んだことを振り返ってみることにします。このことが犠牲になった方々への鎮魂になれば幸いです。


■ 大震災発生!

 平成7年1月17日午前5時46 分。すさまじい揺れで目が覚めました。

 突き上げてくる縦揺れ、そして横揺れ。頭で覚えただけの防災知識はまったく役立たず、ただ振り落とされないようにベッドにしがみつくだけでした。

 部屋中に散乱する本、CD 、食器・・・・・・。どこからどう手をつけていいか途方に暮れながらも、「生きていて良かった」と思わず感謝したのを覚えています。


 兵庫県南部を襲った大地震は死者6 千名以上という大惨事となりました。人的被害だけでなく、ビルや家屋の倒壊、高速道路・鉄道高架の崩壊、防潮堤の陥没や亀裂など、物的被害も甚大でした。

 私の自宅( 尼崎市) の近くでは山陽新幹線の橋桁が2ヶ所で落下しており、地震の発生があと2 0 分遅れていたら始発のひかり号が巻き込まれていたことを思うと、背筋が凍ります。


■ 身にしみた水の大切さ、ありがたさ

 この地震では、水道・電気・ガスといういわゆるライフライン(実際には、パイプラインやケーブルラインという” モノ”) がズタズタに寸断されました。

 とくに、生命にとって重要な水が途絶えて、極めて深刻な問題を引き起こしました。

 飲料水がない、トイレが使えない、お風呂に入れない、火事が消せない・・・・など、水の大切さ、ありがたさを身にしみて感じました。

 私が住んでいる尼崎市は、神戸、芦屋、西宮などに比べて被害が比較的小さいとされていますが、それでも全半壊家屋が5万戸以上とすさまじいものでした。

 私も1 ヶ月間の断水にあい、不自由な体験をしました。

こんな中で、「水」について数多くの氣づきがありました。いくつかあげてみましょう。


◆ コップ1杯の水でできること

 とにかく、今までいかに水をムダに使っていたか思い知らされました。蛇口をひねると水が出る。これはまったくの幻想でした。当然のことながら、近所の家も断水中で、誰からももらえません。

 トイレをしても流す水がありません。水洗トイレは、水がないと役に立たないのです。こんな当たり前のことが水がなくなって初めて氣づきました。

 私の場合、飲料水がペットボトル2本分ありましたが、近くのコンビニエンスストアには1本もありませんでした。

 いつ水が出るのか分からない以上、節約を考えないわけにはいきません。

 そこでコップ1杯の水で何ができるかを試してみることにしました。すると案外たくさんのことができたのです。

 歯を磨く+ゆすぐ+歯ブラシを洗う+顔を洗う+残りを飲む。

 これらのことが、たったコップ1 杯の水で可能でした。残りを飲むといっても、コップの下から2センチ程度ですが、ノドを湿らせることができました。やればできるのですね。歯を磨いている間、水を流しっぱなしにしていることがよくあったことを反省しました。


◆ 生活に必要な最小限の水の量は?

 幸いなことに実家が断水を免れたため、トイレやお風呂を借りることができました。しかし私には「もったいない」という感情が育ってきており「たくさんあるから自由に使ってもいい」という発想が頭から消え去っていました。

 そこで、いくつかの実験をしてみました。

 私にとって必要最小限の、@歯ミガキの量とその歯をゆすぐ水の量、A顔を洗う水の量、B体を洗う石ケンの量とその石ケンの泡を洗い流す水の量、Cシャンプーの量とそれを洗い流す水の量、Dトイレの水量、を調べてみたのです。

 その結果、すべての場合でふだん使っている量は、必要最少量よりもはるかに多いことが分かりました。

 たとえば、歯磨きは米粒程度の量でまったく問題ありませんでした。その後、塩だけでも(あるいは何もつけなくても) きれいに磨けることが分かりました。

 またシャンプーは平素の3分の1で十分ですし、それを洗い流す水量も何と10分の1しか必要ありませんでした。頭にかけたはずの水のほとんどが、泡に触れずにムダに使われていました。確実に泡を巻き込むように少しずつ水をかければ、そんなに水量は必要ないのです。

 シャンプーがない場合でも、水だけでも案外きれいになることも分かりました。


◆ 近くに海があるのに「水を下さい」とは?

 テレビで被災地の上空の映像が流れていた時のことです。

 ある大学のグランドに「水を下さい」という文字が書かれていました。

 「水がなくて大変だな」と思って見ていると、そのグランドの近くには海が広がっているではありませんか。 海水(塩水) は大量にあるのです。

 そうです。水がないのではなく、飲料に適する水がないということなのです。

 海水は飲料水には適しません。

 では川の水は? ・・・・汚れてしまって飲めまん。

 それでは地下水は? ・・・・もし下水管が破損し、地下水に流れ込んでいたら大変です。


 本来であれば、海水は飲めないにしても、川の水や地下水は十分飲用に適するはずです。

 私たち人間が汚してしまったのです。

 特に家庭から出てくる生活廃水や工場からの廃水によって水質が悪化してしまいました。

 また、「雨水を貯めてトイレや洗車などの中水道として使おう」と提案されています。しかし、
雨水というのは太陽の熱によって蒸発した水蒸気が凝結した蒸留水であり、本来は水道水よりもきれいな水なのです。私たちが排出した汚染物質が雨水の中に溶け込んだために、トイレなどにしか使えなくなったということを忘れてはなりません。

 震災によって、これらのことが改めて浮き彫りにされました。

 これは、生活の便利さを追求し続けてきた結果水を汚してしまい、こんな緊急時にツケとして廻ってきたと解釈すべきでしょう。


◆ 有り得ないことは有り得ない

 この大震災で、「
有り得ないことは有り得ない」、「有り得ないことが起こったときに大惨事となる」ということが分かりました。

 神戸を含めた阪神間には地震が起こらないと信じられてきました。そのためほとんど防災対策がとられていなかったのが災害規模を途轍もなく大きくした原因の一つでしょう。

 しかし実際には、「京阪神には活断層が密集している」とか「近く京阪神に大地震が発生する可能性がある」ということは新聞紙上でも報道されていたのです。

 とくに、震災のほぼ1週間前に当たる1月8日付けの神戸新聞は、京都の立命館大学の見野教授が発表した「M7級の地震が近く京阪地方で続発か」という記事を掲載していました。



 なぜ、京都にある大学の教授が京阪( 京阪神でないことに注目) で発生するかも知れない地震の記事を京都新聞ではなく、神戸新聞に発表したのでしょうか。

 ひょっとすると、暗に神戸で大地震が発生することをほのめかしたのかも知れません。

 ・・・・根拠の薄い憶測はやめるとして、私たちは「
感心のない記事は見えない」ようです。


 今後の防災計画をすすめる際にまず必要なことは、「地震はいつでも起こり得る」という意識を高めることではないでしょうか。

 地球上で生活する限り、地震は避けられません。とくに日本では、第2 関東大震災・東海大地震・南海大地震などがいつ起こってもおかしくない状況です。このことは、ダムや原子力発電所の建設で、特に配慮しなければならないポイントです。

 私たちは、過去の体験を活かして今から大災害時の防災体制を確立し、少しでも被害を小さくすることを考える必要があります。


◆ 大震災より遥かに多い交通事故死と自殺者

 こうしている間にも交通事故で多くの方が亡くなっています。ここ数十年の間に約50万人の命が交通事故の犠牲となりました。

 大震災の後、都市のあり方が至るところで議論されていますが、「車社会」についても見直しが必要ではないでしょうか。

 また、日本国内だけで年間3万人以上の自殺者が出ている状況は、きわめて異常です。

 このことは、
「車社会の見直し」というよりも「社会システム全体の見直し」が不可欠であることを示しています。


◆ 物の時代から心の時代へ

 以下の内容は( 今までの内容も)、人によっては「宗教的すぎる」と思われるかもしれません。

 実は私自身は、どの宗教団体にも属していません( 宗教心は大きいと思います)。

 しかし、あの大震災を前にして、「人間という存在を遥かに超越する存在」を意識せざるを得ませんでした。

 その存在を世の宗教家は「神」とか「創造主」あるいは「主」「大日如来」などと呼ぶのでしょうが、どの宗教団体にも属していない私は「大自然」「宇宙意識」あるいは「大いなる存在( サムシング・グレート)」としか言いようがありません。

 その存在が大震災を通じて、「心の時代の到来」を私たちに氣づかせてくれたように思います。

 この地震の背後に「神」「創造主」あるいは「大自然」、そして「地球」の愛と慈悲を感じるのは私だけでしょうか。

 発生時刻、午前5時46分。もし1時間発生が遅れていたなら、鉄道、高速道路、オフィス街など、ラッシュ時に重なることで死者は2桁くらい違っていたかもしれません。

 さらに今回の地震の活断層を延長すると若狭湾に行き着きます。そこには原子力発電所が1 5 基あります。もし地震が若狭湾で起こっていたとすると、チェルノブイリ15発分の放射能が放出され、数百万の命が失われたかも知れません。

 想像するだけで涙が出てきます。

 この涙は2種類あります。ひとつは、6000名もの死者に対する悲しみと絶望の涙、そしてもうひとつは、6000 名の死者ですんだことに対する「感謝」の涙です。


 私たちはこの大震災から何を学んだのでしょうか。

 その答は私たち個々の行動で示さなければなりません。

 しかしこれだけは言えるでしょう。

 それは
「物質文明の終焉」と「技術万能神話の崩壊」そして「心の時代の始まり」に氣づかなければならない、ということです。

 もし物質中心の文明をこのまま続けるならば、今度は愛と慈悲は激烈な変動として現出されると覚悟すべきです。

 幸い被災地や援助に赴いた人たちを見ていると、彼らの多くはすでにその答を知っているようです。「生きていることだけでも有り難い。人、水、食べ物すべてに感謝している」ということを行動で表しておられます。

 目は希望でキラキラ輝き、助け合い、励ましあって逞しく生きる決意を肌で感じます。

 また、心からの援助の手が今でも日本中から、世界中から差し伸ばされています。

 見返りを求めない「与え続ける愛」。その美しさにまた目頭が熱くなりました。

 悲しみと感謝の涙以外にもうひとつの涙があることを知りました。

 それは「希望」の涙。この涙を流し続ける限り未来は輝くものとなると思います。


◆ まだ癒されない人も

 その一方で、絶望に打ちひしがれている人たちがいまだに大勢おられるのも事実です。

 ひとりぼっちのご老人は、生活再建の見込みがいまだに立っていません。

 この人たちが前向きに生きないからといって、どうして責めることができるでしょうか。

 私たちは、立ち直れずにいる人たちの思いに共感し受容する「心」を持ちたいものです。


◆ ますます必要となる「心のケア」

 被災地では食糧や水の不足がほとんど解消した後、その次は人間として生きるために不可欠である「お金、仕事、家」の問題がクローズアップされました。

 これらは確かに深刻な問題ですが、私が強調したいのは、これからはますます「心のケア」が中心になってくるということです。このことは、少なくともあと10年間は言い続けなければならないと思います。

 確かに、「心のケア」については以前から叫ばれていました。しかし、マスコミ等で神戸を中心とする繁華街の復興状況ばかり報道するため、「もう大丈夫だ」という安堵感が全国的に広がってきているように思います。

 ところが実態は、被災された方々はもちろん、ボランティアで活躍された人たちも震災直後に頑張りすぎた反動が、心の疲れとなって出てきているようです。

 また震災のイメージが強烈であったため、いまだに悪夢におびえているお年寄りや子どもたちが大勢いるのが現状です。


◆ 訴え続けたい「頑張れは禁句」

 私たちは、このような人たちを何とか励まそうと「頑張れ」と声をかけたい氣持ちになります。

 でもここでは「頑張れ」は禁句です。頑張らなければならないということは、当人が一番思っていることです。頑張れないから悩んでいるのです。

 「頑張れ」という声を聞けば聞くほど、現実とのギャップに苦しみ、無力感が増していくのです。「頑張れ神戸!」というスローガンの陰で「そう言われるのがつらい」と無力感に苛まれている被災者も少なからずおられるということを忘れてはなりません。

.
 ところで、「
頑張り疲れている人には頑張れは禁句」ということは専門カウンセラーらが頻繁に訴えていることです。しかし、まだまだ世間の常識になるはほど遠いようです。

 だから「しつこい」といわれようと、私はこのことを訴え続けるつもりです。


 一方、「何で神戸やの。被災地は神戸だけではないのに・・・・」と寂しそうに呟く声も数多くあるということもお伝えしておきたいと思います。

 西宮、芦屋、宝塚、尼崎、伊丹、川西、明石、淡路島、そして大阪市西淀川区、大阪府豊中市、さらには京都でも死者が出ているのです。

 地方の人たちは、被災地全体を神戸という象徴として捉えていると思いますが、何気ない「ひとこと」が人を傷つけるということを心に留めておきたいものです。

 もし、周囲の人から「頑張れ」と励まされて落ち込んでいる人がおられたら、私は次のような詩を捧げたいと思います。

今ここに生きる
頑張らなくてもいいんだよ

心が疲れるから

急がなくてもいいんだよ

今が見えなくなるから

ほら周りを見てごらん

ほほえみ慈しみ愛

たくさんの仲間が見守っているよ

『今・ここ』に生きる

それだけで十分じゃないかな
闘わなくてもいいんだよ

心が悲しむから

比べなくてもいいんだよ

自分が見えなくなるから

ほら周りを見てごらん

ほほえみ慈しみ愛

たくさんの仲間が見守っているよ

『今・ここ』に生きる

それだけで十分じゃないかな



 この詩は、私が結婚する際、「よし、頑張るぞ! 」と思った瞬間に脳裏に浮かんできたものです。

 新しい生活を前に、張り切りすぎて肩に力が入っていた私でしたが、この詩を味わってみることで心の底から安心感が湧いてくるのが分かりました。

 過去へのこだわりや未来に対する不安が生じるのは『今ここ』に生きていない証拠かもしれません。

 
過去も未来も『今ここ』の思いがつくっているのです。

 ということは『今ここ』の思いを変えることで、心の中の過去も未来も変えられるのではないでしょうか。

 いや、過去と未来を変えるのは『今ここ』にしかあり得ないということかもしれません。

 
事実としての過去は変えられませんが、思いとしての過去は変えられるのです。


 そう思うことで、自分ひとりの力だけではなく、笑顔、笑声、笑心いっぱいの素晴らしい仲間たち( 家族、友人、まったく見知らぬ人たち) がいるからこそ、この瞬間に生きていられるということが実感できたのです。



 ところで、歌詞には「頑張らなくてもいい」「急がなくてもいい」「闘わなくてもいい」「比べなくてもいい」という表現があります。

 ただしここで、「頑張ってはいけない」「急いではいけない」「闘ってはいけない」「比べてはいけない」と言っているわけではありません。

 頑張ってもいいんです。

 急いでもいいんです。

 闘ってもいいんです。

 比べてもいいんです。


 でも、「それに
疲れたとき”頑張らない”という選択肢もあるんだよ」という氣持ちを込めています。


 私自身、10年前(1988年頃)までは次のように思い込んでいました。

 頑張る×   頑張らない○

 急ぐ×    ゆっくり○

 比べる×   比べない○

 考える×   感じる○

 怒る×    喜ぶ○

 不安×    安心○

 苦しむ×   楽しむ○



 右側を選択する方が優れていて、左を選ぶ人を可愛そうに思ったりしていたのです。

 今思うと、冷や汗ものです。

 まるで、悟った人が偉くて、迷っている人が劣っていると言っているかのようです。

 傲慢でした。思い上がりでした。

 この氣づきによって、聖書の『後にいるものが先になり、先にいるものが後になる( マタイによる福音書)』という深い意味が分かったような氣がしました。

 実は、「悟った(と自分で思っている)人は実は一番遅れている」のかも知れません。


 頑張ったり、急いだり、他人と比べたり、安心したり、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、ほめたり、けなしたり・・・・それが人間なのではないでしょうか。

 それぞれの感情や行為に身を任せていればそれでいい、のだと思います。

 これこそが「生きている楽しみ」、これこそが「生きている苦しみ」だと実感しているからです。

 私にとっては『苦しみ』と『楽しみ』はイコールなのです。

 それが「頑張らなくて」ではなく「頑張らなくても」と「も」が入っている意味だと自分自身、頭と感情で実感しています。


 このような意図をくみ取っていただいたのか、ある国際婦人団体が、この詩を「阪神・淡路大震災」の際の鎮魂歌として採用してくださいました。

 そんな氣持ちで、この詩を味わっていただけたら幸せです。

 もちろん、そんなことは氣にせず、純粋に楽しんでいただいても、それはまったく自由です。


◆ ボランティアを考える

 この震災では若者を中心としたボランティアが大活躍しました。

 彼らは、無気力・無関心といわれていた人たちでした。

 しかし、彼らの活躍ぶりを見ていると、「ひょっとすると今の社会( 物質中心社会、競争・比較社会) にあってはそう見えるだけで、本当は意識改革をし終えた人たちではないか」と思ってしまいます。


 ここで、話のついでにボランティアについて少し考えてみましょう。

 ボランティアを無報酬、滅私奉公、自己犠牲というイメージで捉えている人が少なからずおられるようです。

 しかしこれは見当違いです。よほどの大金持ちでない限り、これでは長続きしません。

 
ボランティアは非報酬( 資金援助が必要) であり、自己成長を伴うものです。

 あくまでも自発的なものです。震災時によく聞こえた「社員にボランティアをさせている」というのは何か変ですね。

 また、震災直後に被災地に出向いたボランティアの人から「一週間以上泊まり込みでボランティアできないやつは来るなと言われて悩んでいる」との相談を少なからず受けました。私は「そんなことを言う人がいるのか。この話を聞いた大阪にいる入院中の人たちや体の不自由な方々はどう思うだろうか」と驚きました。

 でも氣を取り直して、「一週間泊まり込みできる百人と、一時間でも援助に来られる百万人とでは、どちらが実りが大きいと思いますか」と言って納得してもらったのを思い出します。

 お年寄りや体の不自由な人はニッコリ微笑み、病気で入院中の人はお祈りする。


 ただじっと傍らに寄り添うだけでもいい。

 すべて素晴らしいボランティアではないでしょうか。

 ボランティア活動を通じて豊かな人間性が身につき、成長していることが実感できれば素晴らしいと思います。


◆ 真の復興とは

 心の時代に氣づいた私たちは必ず復興を遂げるでしょう。

 しかしそれは物質中心社会の延長線上には有り得ません。

 それにもかかわらず神戸市などは、神戸空港を開港させ、明石海峡大橋はまぶしいほどライトアップしています。

 またある人は、「元通りの神戸に戻るだけでは復興とはいえない。前よりも遥かに経済的に繁栄して初めて真の復興といえるのだ」と豪語されています。

 しかし被災地の人はそのような復興を願っているのでしょうか。少なくとも被災者のひとりである私はそうは思いません。

 「地球のメッセージ」に耳を傾けながらすべてと共生する社会。この社会を皆で考え、実現させなければならないのではないでしょうか。




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第7章 すべての意識はつながっている

 これまで「氣づき」について私自身の経験をもとにお話ししてきました。

 
私にとって「氣づき」は自己成長と行動変容のための素晴らしい導師です。

 これまでの人生の中で最も大きな氣づきは、「
すべての意識はつながっている」ということです。

 そこで本章では、このことについてお話ししましょう。


■ ガイアシンフォニーのこと

 皆さんの中には、『ガイアシンフォニー( 地球交響曲)』という映画をご覧になった方もおられると思います。

 この映画は、1992年の11月に「第一番」が、また95年4月に「第二番」が上映されて以来、今までに200万人もの入場者を集めています。現在は「第五番(2010年現在で第七番)」が封切られ、新たな感動を呼び起こしています。

 この映画を通して、自然の偉大さ、自然と人間の関わりが、美しい映像と音楽でつづられており、鑑賞する者の心に染みわたります。そして、この感動をすぐにでも多くの人と共有したいという想いがフツフツと沸き上がってくるの
です。

 同じ思いを持つ人同士は必ず出会うものです。そして仲間が集まれば、自然に「私たち自身で上映会をしよう」ということになります。

 実際、今まで上映された数千カ所のほとんどは自主上映で、感動の輪が全国に広がっています。

 実は、私自身も多くの素晴らしい出会いがきっかけで、1996年の1月に「第一番」と「第二番」を連続で上映して以来、第五番まですべて自主上映させていただきました。嬉しいことに、延べ3千人の方々と感動を分かち合うことができたのです。


◆ この映画とは縁がないと思っていた

 第一番が封切られた頃、この映画のことを知り、ぜひ見てみたいと思いました。そこで、すぐにチケットを買ったのですが、残念なことに仕事の都合で見ることができなくなってしまいました。

 その後も6回くらいチャンスがあったのですが、ことごとく何かの事情で断念していたのです。そのために、「この映画は自分とは縁がないのかも知れない」とほとんどあきらめていました。


◆ 今度は必ず実現する!

 映画のことを忘れかけていたあるとき、友人が「ガイアシンフォニーという映画があるんだけど、一緒に行かない」と誘われたのです。

 一瞬「やったー」と喜びましたが、次の瞬間、「また、行けないかも知れない」と不安に襲われました。しかし、不思議なことに、心の底から「今度こそ必ず実現する」という確信が湧いてきたのです。「うん、行こう!」と思わず答えていました。

 その確信どおり、とうとう大阪府高槻市で上映された「ガイアシンフォニー第一番」を見ることができたのです。席に着いただけで興奮していましたが、映画を見るうちにリラックスしていく自分に氣づきました。それはやがて言葉にできないような感動に変わり、こぼれる涙を止めることができませんでした。


◆ そういうことだったのか?

 映画の場面は、ハイポニカという1本のトマトの木に1万個以上の実が成る技術を紹介していました。

 そのときです。私はある映像を見てひっくり返るくらいに驚いてしまいました。ただし、たわわに実ったトマトを見てではありません。

 何と、そこには私の見慣れたものが映し出されていたのです。

 私は、今は独立していますが、大学卒業後すぐにポンプや環境保全機器を扱う会社に就職しました。

 そこでの仕事はポンプの設計。決められた量を正確にコントロールしながら注入するポンプの開発が中心でした。


 驚くなかれ。この映画のある場面にその私たちが開発したポンプが映っていたのです。

 私たちはハイポニカを手がけている会社から、液体肥料を正確に注入できるポンプの開発を依頼され、納入していました。何とこのポンプがハイポニカ技術に使われていたのです。


 ガイアシンフォニーとハイポニカ技術、ハイポニカ技術とポンプ、そしてポンプと私。

 こうして
ガイアシンフォニーと私とは、実に映画上映の20年も前からつながっていたということが分かったのです。


 さて、映画が終わり、帰ろうしたとき、この自主上映会のスタッフをしている知人に会いました。彼は、「今から映画監督の龍村仁さんらと懇親会をするから参加しないか」というのです。「ずうずうしいかな」とも思いましたが、折角の機会なので末席に座らせていただくことにしました。

 その場所には、龍村監督とハイポニカ技術を開発された野澤重雄会長が出席されていました。野澤会長は、私たちの会社にポンプの開発を依頼されたまさにその人なのです。私はすかさず、野澤会長にそのことをお話ししたら、しっかり覚えていてくださいました。

 この時私は、この映画に間接的にでも参加できた喜びに包まれたのを覚えています。

 また、龍村監督ともお話しすることができました。私は監督から映画の感想を聞かれたので、登場人物のラインホルト・メスナーという8千メートル級の山をすべて単独で、しかも酸素ボンベを持たずに登頂した登山家のことに触れました。

 「彼が映画の中でエベレストに登頂する直前に遭難しかけたとき、そこにいるはずのない少女の声を聴き、姿を見たという場面がありましたが、実は私もその少女の姿が見えたのです」と応えたのです。

 すると、龍村監督は「そうなんだよ。見えるんだよ。ボクはそれを見せたかったんだ。見えないものを見えるようにする。これがこの映画の狙いでもあるんだ。君はそのことによく氣づいてくれたね」と満面に笑みをたたえて喜んでくださいました。

 そして、「そのために映像と音楽の調和に特に氣を配っているんだ。このカットの出だしは、この曲のこの音でなければならないというようにね」と熱く語ってくださったのです。


 野澤会長と龍村監督との出会い。6回もこの映画を見逃したのは、「縁がなかったのではなく、この出会いのため」だったのです。

 
より大きな縁のために、一見縁がないように思えることもあるのですね。


 これ以来、ガイアシンフォニーと私の縁はますます深まり、前述のように自主上映会を5回もさせていただきました。

 また、私の何人もの友人が、龍村監督と親友だったり、第一番で「エレナ」というメス象の愛を感動的に語ってくれたダフニー・シェルドリックさんの文通相手だったりと、縁の素晴らしさに感動しています。


◆ やはり意識はつながっている

 第二番が制作中との噂を聞き始めた頃、頭の中で3曲のメロディが響き初めました。その3曲は「浜辺の歌」「アベ・マリア」そして「アメイジング・グレイス」。ほとんど1日中その美しいメロディーにつつまれ、時には口ずさむこともありました。

 とくに「浜辺の歌」の印象が強烈で、私の結婚披露パーティでメイン曲に選んだほどです。「このメロディはどこから来るのだろう」と不思議に思っていました。

 しかしその疑問は、ガイアシンフォニー第二番を見て、すぐに解けました。「浜辺の歌」と「アベ・マリア」の2曲がこの映画のテーマ曲として使われていたのです。

 この時は、確かに驚いたものの、それよりも「やはり、この映画とつながっていたんだ」という感激の方が優っていました。

 では「アメイジング・グレイス」はどうしたんだろう。

 私にはもう分かっていました。ガイア・シンフォニーの第三番で必ず歌われることが。

 このことを友人にしゃべりまくっていましたが、予想どおり完成した第三番に白鳥英美子さんが歌う「アメイジング・グレイス」が使われていたのです。

 また私はギターを少々弾くのですが、昨年の春頃からなぜか「仰げば尊し」という曲を無意識に演奏していましたが、この曲も第三番に使われていました。

 さらに、私の一番好きなクラシック曲のひとつにビバルディの「調和の霊感」というのがありますが、この曲の中で最もお氣に入りの楽章も映画の中で使われていたのです。

 しかし、今はもう驚きません。意識がつながっていれば、これくらいのことは不思議でも何でもないのです。


 映画のこと以外でも、川で心安らかになってハミングしていると、魚が飛び跳ねながら近づいてきたり、近くの神社の境内でくつろいでいるとき、周りにいる鳩に「こっちにおいでよ」と話しかけると、周囲をぐるぐる回りながら集まってくる、というようなことはしょっちゅう起こります。

 また、前に「アルツハイマーの父が、今でもたまに荒れることがある」とお話ししましたが、遠くにいながら「あっ、いま父親が荒れている」ということが分かるのです。

 たいていの場合は、胸が詰まるような感覚がやってきます。恐らく、「荒れる父を何とかしたい」という母の思いが私に伝わってくるのだと思います。


◆ 超能力は常能力

 これらの出来事は、何やら超能力( ここではテレパシー) のようですが、私自身は誰にでもある「常能力」だと思っています。ただ、理性や知性が邪魔をして、能力が発揮できない状態になっているだけのようです。実は、このように思うようになったのは、中学時代に遡ります(もう35年以上も前になるんですね・・・・苦笑・・・・2010年からいうと約40年にも・・・・大苦笑)。

 修学旅行帰りのバスの中で起こった出来事です。

 旅行中、悪友たちと話し込んで徹夜の連続だったので、帰りのバスの中では疲れがピークに達していました。

 寝ようとしても、疲れすぎて眠ることもできないのです。隣の友人も眠れないようでした。

 その時、ふと思いついたことがありました。

 そのころユリゲラーがスプーン曲げやテレパシーをテレビで公開し、超能力がブームになっていました。

 その中で「疲れ切って頭が働かなくなると超能力が発揮しやすい」というようなことを言っていたのを思い出したのです。「今がその状態じゃないか」という訳で、早速隣の友人と「トランプのマーク当て」の実験してみることにしました。

 ひとりがランダムにカードを引いて、それがハートであれば、ハートのイメージを浮かべてテレパシーでもうひとりに送ろうというものです。

 まず友人が、私に向かってテレパシーを送り始めました。私は目を瞑ってテレパシーを受け取ろうとしていました。
 すると突然、暗闇の中に白い点が現れ、だんだん大きくなってきました。そしてやがてハッキリとしたハートのマークに変わったのです。私が「ハートだ」というと、「当たり! 」という声が返ってきたのです。

 まぐれかも知れないと思いましたが、何度試しても同じように白い点が現れ、やがてハッキリとしたマークが浮かび上がってくるのです。「何となくダイヤのような感じがする」という曖昧なものではありません。ダイヤだったらダイヤ、スペードだったらスペードの形が現れるのです。ある時は、クローバーが逆さまに見えたので、そう答えると本当に友人は逆さまのクローバーを見ていたのです。

 もし4回や5回の的中であれば偶然として片づけられるかも知れませんが、その時は何と16回も連続して的中したのです。テレパシーが働かない限り、16枚連続して的中する確率はほとんどゼロでしょう。

 次に私がイメージを送り、友人がテレパシーを受ける側に回りましたが、この場合でも9枚連続的中したのです。

 この結果、少なくとも私と友人の二人は、テレパシーの存在を否定することができなくなりました。もし否定すれば、自分自身を否定することになるのですから。


 このような体験は、私だけでなくかなり多くの人が経験しているようです。

 やはり、誰にでもある「常能力」と考えた方が良さそうです。

 ただ問題は「いかに理性や知性に邪魔をさせないか」ということなのだと思います。


 これまでの話をお聞きになって、「そんなバカな!」と思う前に「そんなこともあるかもね」と心を開いてみてください、きっと「すべての意識はつながっている」と実感できると思います。

 このように実感すると、個人的な輪廻転生とか過去生とかで大騒ぎするのはあまり意味がないことが分かります。「
すべての人の過去生は自分の過去生であり、自分の過去生はすべての人の過去生でもある」ということになるからです。

 しかも、このような横のつながりだけでなく、過去、現在そして未来のすべての存在ともつながっていることに氣づきます。

 ただミクロで見ると、個人的な過去生、前生、来生が存在することもあるかも知れません。しかし、それは「
個々の魂の進化のためだけでなく、すべての存在と分かち合うことで人類総体としての進化を果たすためにある」のではな
いでしょうか。


 私は、「氣づき」が根本的に意識と行動を変えてしまうパワーを秘めているように思います。私自身が「氣づき」によって大きく変わったことを実感しているからです。

 
私の現時点での「氣づき」の最終到達点は、「すべてはひとつ( すべてはつながっている)」ということです。

 そして、「すべてはひとつ」が普遍的真理であるかどうかは別として、人類の大多数がそう思うことが、地球環境問題や戦争など、あらゆる問題を解決するためのポイントであると思います。

 ただし、ここでお話しした「氣づき」はあくまでも私自身の体験ですので、これがすべて真理であるとは到底思えません。

 皆さんも、今までの人生で様々な「氣づき」があったことでしょう。多くの人の間でそれぞれの「氣づき」を分かち合うことができれば、きっと素晴らしい智慧が創造できると思います。

 この中には、人類のそして地球の未来を輝くものとするための智慧が満ちあふれているに違いありません。
 いまが、まさにその時なのかも知れません。




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エピローグ

■ エピローグ

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 この特集をお読みになって「精神世界の本ではないか」と思われたかも知れません。

 確かにそう思われるような記述がありましたね。

 しかし私は、「
精神世界も肉体世界( 物質世界) も現実世界の一面にすぎない」と思っています。「精神世界というものが別にある」という考えには与しません。

 ひとつのものを分けること自体、とても不自然
に思うからです。

 ついでと言っては何ですが、ここで私にとっての「精神世界」について少し書かせていただきます。


■ 私にとっての精神世界

 20年ほど前、ふと氣がついたら「精神世界」というのがありました。これは「ひょっとしたら面白いかも!」と一時はのめり込んだことがあります。

 たとえば「氣の世界」とか「超能力」。私も信じる、信じないとは別として、スプーンとかコーラの栓抜きを念で曲げて喜んでいました。

 しかしある時、「だからなんやねん。別にどうってことないやん」と感じたのです。

 そんなものは自分で体験したら、それは「あるとかないとか論争する対象ではなく、まだ原理が分かっていない自然現象だ」というような感じでした。


 さて、いわゆる精神世界の中に入ってみると、「人生は楽しまなくっちゃ」と言いながら魂は泣いているとか、表面的にはニコニコしているけれど、魂は泣いている人がずいぶんおられるのです。

 それから、いかにも悟ったというフリをして現実から逃避している、という姿も数多く見ました。現実から逃げてしまっているのです。

 また、多くの人が「自分は( 天や神、あるいは宇宙人に) 選ばれた」という選民意識みたいなものを持っていました。無意識のうちに天狗になってしまっていることに当人は氣づいていません。

 そして「神のお告げを聞いた」とか「神の声、仏の声を聞いた」とかもよく聞かされました。「言うのは自由だけど、自分の脳のフィルターを通っているのが分からないのだろうか?」と疑問を抱いたことを覚えています。

 「自分の脳、あるいは自分の想いというフィルターを通っているから、自分の経験以外のものは出てこない。もっと人格や心を磨かなければ」という謙虚な人は極めて少数でした。


 それから
、「つながり」と「束縛」を混同しているのではないか、という場面にもよく出くわしました。

 つながりというのは鵜飼い( ウかい) ではありません。

 多くの場合、「つながっているじゃないか」といって束縛してしまっているようでした。束縛までいかなくても、しがらみに追い込んでしまっているように感じました。

 無限に長い糸でどこにいてもつながっているのが、信頼とか愛とかいうものだと思うのですが、どうも見ていたら「それって束縛じゃないの?」と感じるのです。どうもバランスが悪いのです。


 その原因を探っていた時、ふと「ひょっとして彼ら( 彼女ら) は、精神世界と肉体世界とが別々にあると思っているのではないか」と感じたのです。

 前述のように、私は「精神世界と肉体世界は一体( ひとつ)」だと思っています。分けられないものを分けてしまって苦しんでいる。そんな人が多いことに氣づいてしまったのです。

 それ以来、精神世界と肉体世界を分けて考えることが無くなりました。

 そういう意味では、「
精神世界を否定するのではなく、精神世界に囚われなくなった」と言えるかも知れません。


■ 氣づきの落とし穴

 私は環境問題や心のことについて講演させていただいていますが、やはりここでも「氣づき」が重要なキーワードです。


 しかし、ここに落とし穴があるのです。

 自分が何かに氣づいたり、悟りのような感覚を味わうと、他人はそのことに氣づいていないと思ってしまいます。

 以前、講演している最中に自分の傲慢さに愕然としたことがあります。

 何と、「ここに来ている人は、このことに氣づいていないに違いない」、またトンデモナイことに「ここに来ている人は、このことに氣づいていて欲しくない」と思っていることに氣づいたのです。

 何と言うことでしょう。これでは「教えてやる」と上から見下ろしていると言われても言い返す言葉がありません。しばらく「講演をするのをやめよう」と考えたほどです。


■ 新たな氣づき・・・・人生は氣づきの連続

 悩んだあげく、一見氣づいていないように見える人でも「いま私が経験した氣づきをとっくに通り過ぎて、新しい境地に到達しているのかもしれない」という考えが浮かんできました。

 そして、「
仮に1兆もの膨大な知識を持っていたとしても、宇宙という無限の中では0に等しい」という、ごく当たり前の事実を思い出したのです。

 たとえ他人の1 万倍の知識を持っていたとしても、しょせん五十歩百歩です。


 君子は凡人のように振る舞う。その人はやさしい微笑みで「いい氣づきを経験したね。今後が楽しみだね」とさりげなく、温かく見守っていてくれているのかも知れません。


 また、知れば知るほど、氣づけば氣づくほど、知らないことが増えるので、語ることが恐くなったきました。「これが真理です」なんて、口が裂けても言えなくなりました。


 本文中でも書きましたように、「〜が宇宙の真理です」とか「私は悟りを開いた」と断言する人は、一体どんな心境なのでしょうか?

 ホントにすごいなあ、と感心してしまいます。「それに比べて、ボクはまだまだだなあ」と、劣等感に苛まれた時期もありました。

 でも、しばらくして「
すべての人はそれぞれの体験をしていて、それぞれの氣づきと悟りを体験している。だから、講演する際は『氣づきを分かち合う』という姿勢で臨めばいいんだ」と氣づいたのです。

 最近ようやく、そうすることで「会場が一体感に包まれる」という体験ができるようになってきました。

 少しは成長したのでしょうか?


■ さらなる氣づき

 そうこうしているうちに、またまた新たな氣づきがやってきました。

 私の講演では、環境問題に関する情報提供もしますが、それ以上に「自分自身が氣づいたこと」をお話ししています。

 以前は、前述のように、「自分が氣づいたこと v s 他人が氣づいていないこと」という対立関係で捉えていました。

 しかし、
私たちはすべて潜在意識で繋がっているのですから、「誰かが氣づいたと同時にすべての人も氣づいている」はずなのです。

 また、「誰かが氣づいたから、同時に私も氣づいた」とも言えるはずです。

 世の中は、すべてシンクロしています。誰が早く氣づいたかではなく、みんな同時に氣づいているのです。ただ、この氣づきのサインは非常に微弱で関知しにくいので、なかなか意識に浮かび上がって来ないようです。

 
あることについて「関心」というセンサーをオンにしていた人が、氣づきという形でサインを受け取るように思います。サインを受け取り、それを実践するかどうかは自分次第ですが。


 話のついでに、発想を無限大にしてみましょう。

 私たちは存在・非存在を問わず、すべてつながっています。というか、一体です。最近の科学でも、この宇宙は単一つまり「ユニバース」ではなく、無限に存在する「マルチバース」とされています。

 さらに、マルチバース以前にも「メタバース」という無限の宇宙が存在していると言います。
私たちが存在している宇宙では、あらゆることが経験済みで、しかもすべての情報が記憶されているそうです。

 すべてというのは、3 次元でいう「過去・現在・未来」の情報「すべて」です。

 これをアカシックフィールド( アカシックレコード) というのでしょう。


 私たちは「すでに、すべてを知っている」ということですね。

 私たちすべては宇宙そのものですから、「すべての答えは自分の中にある」というのは当然のことですね。


 ここ
で「自分」とは、「自然から分かれた分身ではなく、自然と分かち合う存在」と考えるとイメージしやすいのではないでしょうか。

 というわけで、私の役割というのは「私が氣づいたことはみんな氣づいているのだから、そのことを思い出してもらうこと」と「氣づいた」のです。

 そして私のできることと言えば、「潜在意識から顕在意識に浮かび上がってくる情報を抑えている心の扉を開けるお手伝いをする」ことではないかと思います。

 この扉の特徴は、「内から外に向けてしか開かない」のです。

 しかも、「内から開けようとする意思と、外から開こうという想いが同時に働いて初めて全開になる」ようです。

 まさに「
碎啄同機( そったくどうき)」。「ふ化直前の雛が卵の内からクチバシでたたいて生まれたいという意思を知らせ、同時に親鳥が外から殻を叩いてはじめて殻が割れ、雛が誕生する」ということですね。


 私たちの「氣づき」も同じことです。教育を意味する「エデュケーション」の語源は、「エデュース」つまり「引き出す」ということだそうです。「碎啄同機」そのものですね。


 ここでは「タイミング」がとても重要になると思います。「氣づこうとする意思」と「氣づくお手伝いをしようという想い」が同期したとき、心の扉が全開になるのですね。


 私たちは得てして、知っていることや氣づいたことを「伝えたい」と思います。

 しかし、外からだけではむしろ扉を閉めようとする圧力になります。

 そんなときこそ、潜在意識の方から「氣づこうとする意思」を育てたいものです。少し時間がかかるので、待つやさしさが必要です。信頼そして愛の心で接しましょう。

 その実践は、当たり前のことですが、「傾聴」から始まります。十四の心で耳を傾ける、つまり「全身全霊で聴く」とよく言われていることですね。

 このとき、伝えようとしなくても「伝わる」のだと思います。

伝えるのではなく伝わる」。

 これが、私がもっとも大切にしている感覚です。

 いうまでもなく、最も伝わるのは「生きざま」です。


 やはり人生は氣づきの連続ですね。

 さて、この先どんな氣づきが待っているのでしょうか?

 さあ、今度は皆さんの番です。


 氣づきを分かち合って、大きな智慧に育てませんか?


                                  【完】




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